感想置き場

BLとアサシンクリードが好き

クレア・ノース『ハリー・オーガスト、15回目の人生 』感想

 実はこれを読むのは2回目なのだけど、1回目は世界設定やら人物名やら時系列やらを追うのに必死だったうえにラスト付近の怒涛の展開に打ちのめされて放心するばかりだったので、今回すべての前提を理解したうえでもう1度読んだことでようやくしっかりとこの物語について理解できたような気がする。
 「もし死んだときが人生の終わりではなく、完全な記憶を保ったまま同じ人生をやり直すことができたらどうするか?」という命題は、様々な人々が思い描いたことのある夢かと思われるけど、この話ではそんな特殊能力を有する者(作中用語ではカーラチャクラ、またはウロボラン)が少なくとも紀元前3000年前後から組織立って存在していたという点が面白い。「死んだときの知識をそっくりそのままもった状態で生まれた年に帰ることができる」という特性を生かして、そのとき最も若い者が最も年老いたものに伝言を伝えることで、「未来から過去へ」メッセージを届けることができるという発想には唸らされた。
 ただ少し理解できなかったのは、何をもって「世界が終わった」と認定しているのかという点。それを決めているのが神でも大いなる意思でも何でもいいのだが、「早すぎた技術革新が引き起こした核戦争による環境汚染が世界の終焉を速めた」というところまではわかるとして、「すべて」が終わったとされて巻き戻る瞬間とはいつになるのか?何にせよ観測者がいなくなれば世界がその後どうなったかは知りようがないので、人間の認識が及ぶ範囲としては当然「最後の人間が死に絶えた瞬間」か「最後のカーラチャクラが死に絶えた瞬間」になるのではないかと一応私は仮定した。しかしこの話にとって最も重要なのは「世界が終わる」という事実とそれを「どうやって阻止するか」ということなので、そういった細かいことに頭を悩ませるよりもどんどん読み進めた方が利口だったなと今となっては思う。
 そんなややこしい設定を理解する大変さに加えて、主人公ハリー・オーガストによって語られる時系列が頻繁に飛んだり戻ったり唐突な回想が挟まれたりするために「いったい今は何回目の人生なんだ?」とページを戻って確認する大変さもあったので、1度目は読むのにものすごく時間がかかった。それでも投げ出さずに楽しく読み続けられたのは、やはり生まれ変わるたびにハリーの人生が大きく様変わりし、「次はどんな波乱に巻き込まれたり自らそこに飛び込んだりするんだろう!」とわくわくさせてくれる展開が常に待っていたからだと思う。ハリーは土地の管理人、大学教授、研究者、兵士、医師、僧侶、巨大犯罪組織のボスなどの実に多岐にわたる職業に就くが、彼がカーラチャクラの中でも更に特異なネモニック(一度覚えた知識を絶対に忘れない者)であるという点を考慮してもなお、その適応力の高さや忍耐力、ここぞというときの閃きには驚かされた。いくら何百年も生きているといっても、どんな国でもどんな職業でもそれなりにハッタリが効くというのはとてつもない才能な気がする。死を恐れないカーラチャクラが最も恐れるのが「精神の死」であることから、どれほどの歳月を生きようともその重みに耐えられる強靭な精神がなければ意味はないんだろうなと思った。

 ここからはこの物語最大の面白さと私が認識している、ヴィンセント・ランキスとハリーの関係について述べる。
 私がこの本を読み終えて強く感じたのは、「愛と憎しみと殺意は全く矛盾せずに同時に存在することができるのだな」ということ。ヴィンセントとハリーの関係はとても一言で表せるようなものではない。お互いがお互いの1番大切な存在になれたらよかったと心から願っているのに、それが決して果たされないこともまた心から理解している。2人はとてもよく似ていて、相手を愛している気持ちを失わないまま、目的のためにその相手を殺すことができる人たちだ。己の行為に心が引き裂かれそうになりながらでも、どんなに涙を流しながらでも彼らにはそれができる。そういう点ではやはり2人は世界で1番の「同類」だったと思う。
 2人の関係について語るために避けて通れないのが「量子ミラー」なのだが、「量子ミラー」がいったいどんなものなのかは正直に言って私にはよくわからなかった。宇宙が量子によって作られているのだから、逆に量子から宇宙の「すべて」を知ることができる、という理論のところまではおぼろげにわかったのだがそれ以上は無理だった。仮に事細かに説明されても絶対理解できないだろう。
 とにかくヴィンセントは宇宙のすべてを知る者、つまり神になりたかった。ハリーもその崇高な目的に一度は強烈に惹かれたことは事実。ヴィンセントとハリーを分かつものは、「自分が神の目を手に入れるためには他のどんな犠牲を払っても構わない」と思っていたかどうか、この一点のみだった。カーラチャクラは人生を何度もやり直せるとはいえ、「やり直し」ゆえに自分の生きた時代より過去や未来へは行けないので、たとえ地球環境を犠牲にしてでも技術を限界まで早送りしないと「ヴィンセント自身」が量子ミラーに辿り着くことはできないようだ。ハリーはそのために犠牲になる無数の人たちの人生のためにそれを阻止したわけだが、「永遠に同じことを繰り返すだけの世界で"生きる"などということが、"神"の前でいったいどれほどの意味があるというのか?」というヴィンセントの問いには私ですら少し「た、確かに……」と思わされてしまった。普通の人(作中用語ではリニア)である私ですら揺らぐのだから、繰り返す世界の虚しさを知るハリーならより実感をもって量子ミラーの魅力を理解できたのではないか。それでもハリーは「人としての営み」を捨てるべきではない、と決めてヴィンセントに勝利した。逆にヴィンセントは、天才であるがゆえに「ただの人としての営み」を続けることに我慢ができなかったのではないかと思う。
 結局のところ、お互いの正体をまったく知らないままでひたすら宇宙について白熱した議論を交わせていた頃の幸せな日々を2人は忘れることができなかったのだろう。自分と同レベルの頭脳をもち、性格的にもウマが合う人間とする討論は、お互いにとって至上の喜びだったに違いない。決定的な決別をするまで、その関係は非常にうまく行っていたのだが前述の通り、ハリーは神よりも人であることを選んだ。しかしヴィンセントは、ハリーが心の奥底に本心を隠して上辺だけの誓いをした瞬間に全て悟っていたというのがまたニクい。ハリーが嘘をついたことも、直後に取るであろう行動もすべてヴィンセントにはわかっていた。それほどまでに2人をつなぐ絆は、良い意味でも悪い意味でも取り返しのつかないほど深く結ばれていたということだろう。
 ハリーを拷問する際にヴィンセントはギリギリまでその手段を行使することをためらい、最後まで決して自ら手を下そうとはしなかったが、私はそこにこそヴィンセントの本質があると思っている。ためらうだけの友情、もしくは愛情をもつことができると同時に、必要ならば拷問をする決断ができる合理性も持ち合わせている。そして彼の中で最後に優先されるのは常に合理性の方であった。友達が可哀想だからと止めることだけは絶対にしないのがヴィンセントの在り方。そしてその事実は決して愛情の不在とイコールではない、ということが重要だと私は思う。拷問を決めても自ら実行することは気が引けた、というのがその証拠だ。
 この物語においてヴィンセントは最終的に敗北するが、彼にとって唯一の弱点と言っていいものがこの「ハリーへの情」だと思う。もっと言うならば「自分にとって最高の友人であってほしいハリー」への情というべきか?ハリーの記憶を消去した(と思っている)ヴィンセントは、自分からハリーに会えるように仕組み、彼をいついかなるときもそばに置くようになるのだが、初期に関しては記憶が本当に消えているかどうか確かめるためで間違いない。しかしハリーの記憶が完全に消えていると確信できたなら、万が一に備えて監視は付けておくにしろ常に自分のそばに置いておく必要はないと私は思う。研究にはもはや何の役にも立たないとハリー自身も証言しているのだから。ハリーはその理由を色々と推測していて、それらすべてが揺らめきながら渦巻いていると称していたけれど、私は量子ミラーの前でヴィンセントが言った「そばにいてくれ」がすべてだと思う。友が欲しかった。理解者が欲しかった。だから負けた。 
 ではハリーが勝ったのは友情を捨てたからか?と言いたくなるのだが、実はそうではない。何度も書いているが、彼ら2人にとって愛と殺意は同時に矛盾なく存在するものなのだ。問題は配分の違いだけ。ヴィンセントはそれまで常に最終的には合理性を選択する男だったが、ハリーの狂おしいほどの献身を受けてついに愛(もっといえば誰かにわかってほしいという想い)が合理性を上回った。ハリーもまたヴィンセントを愛していたことは間違いなかったが、それでも「するべき」ことを選んだ。それが勝敗を決めたすべてだろう。

有栖川有栖『乱鴉の島』感想(ほぼ文句しか言ってない)

 おい海老原以下信者の面々!ふざけやがって!クローン人間の人権は!?クローンクローン言いますけどね、それって遺伝情報が元と同じなだけで生まれてくるのは1人の人間なわけですよ。記憶を受け継ぐわけでもないし思い通りに操れる物言わぬ人形でもない、考えて感じることのできる人格をもった人間なんだけど!?それを何だお前らは分身だの生まれ変わりだの、1人の人生を生み出すことを何だと思ってやがる。生まれさせられてみたら勝手に見ず知らずの人の人生を投影されてる人間の気持ちを考えろよ。

 そのあまりにも身勝手で自己陶酔極まった傲慢な考えに腹が立って腹が立って、その後事件解決の余韻にまったく浸れなかった。同じ世代に生まれることでしか共有できないものがあることの寂しさとか、永遠から外れたものにしか愛は抱けないとか、命は一瞬だからいいとかの理屈はわかるけど誰かの人生を操作して利用することにあまりに無責任すぎるもんだから共感できない。何が「素晴らしい計画」だよ 。生まれさせる側の感傷なんて子供にはまったく関係ないっての。そのうえ拓海くんと鮎ちゃんを実験台としてくっつけようと画策してたとか……恐ろしい……他人はあんたらのおままごとのための道具じゃないわ……。その点は有栖が「DNAが同じでも生まれてきた2人は別の人格だから愛し合う保証はない」ってツッコんでくれてたからまだいいものの、その計画を有栖ですら「祈り」とか「愛の奇跡への興味」とか美しいもののように語ってたのはいただけなかった。私にはそんな綺麗なものじゃなくてグロテスクで薄ら寒いものにしか見えなかった。そもそも子供を親の分身と捉えたり親が叶えられなかったことを子供に押し付けようとするのが嫌いだ。他人を自分の代わりにするな。
 絶海の孤島のシチュエーションは大好きだし火アリが珍しく安全圏じゃなく容疑者枠として居心地の悪い思いをしてたことも新鮮で面白かったが、これほど登場人物に腹が立つ本はそうそうない。
 有栖川有栖の描く長編の犯人の動機は(今回は直接的な動機ではないが)、初め純粋だったものが陶酔の果てにぐずぐずに歪んでることが多いので「ええ〜〜……?」となることが多くて辟易してしまう。
 あとあれだけ何度もクローン説をばっさり否定されてなお引っ張られるから別のあっと驚く真相が残されてるのかと思いきや、結局クローンじゃねーか!

摩耶雄嵩『メルカトルと美袋のための殺人』感想

 この本を読みながらもう何度思ったかわからないが、美袋くんなんでコイツと友達やってんの!?メルカトル鮎、この男……鬼畜外道・冷酷無比の擬人化か……?これほど「倫理」の2文字が似合わない人は早々いない。いっそ自分で人を殺しちゃうような人の方がまだ人間味があるくらい。自分では絶っっっ対に手を下さないけど、とにかく人を手のひらで転がすのが大大好きで、真相なんて「自分が」好奇心を満たせれば後は野となれ山となれ、必要とあらば証拠のでっち上げや犯行の誘導、自らの友人の誘拐まで行う……。恐ろしい男だよホントに。
 これで少しぐらい他に隙があれば可愛げもあろうものだけど本当に「無い」のだから困る。とにかく頭がキレるのは本当なので誰も勝てない。というか自分が負けないためにはどんな奇策でも屁理屈でも打ち出してくるので勝つ方法が「存在しない」。現実にいたら怖すぎるけどそれゆえにキャラとして輝きすぎていて、「だってメルカトルだし……」ですべてを水に流させてしまう圧倒的存在感が彼にはある。

 

ここからは気に入ったものを個別に

「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」
 これが一番好きかな。
 美袋くんが急にポッと出の女の人といい仲になって「おやおや」とか思っていたらまさかの「好きになった原因」が存在して、そこから事件を紐解くという斬新さ!しかもワトソン役として読者にヒントを提供する視点である美袋くんの証言部分がなんと「夢」!「予知夢なんてそんな馬鹿な!?」と言いたくなるが、そこもちゃんと論理的(に思える)説明を用意してくるのがいい。たしかに微睡んだ状態で聞こえてきたことをはっきり覚えていることもあるし、周囲の状況が夢に影響することもままあることだから。
 極めつけは美袋くんの「愛」がただの同情、延いては「愛する人のために奮闘する自分」というヒロイズムにすぎなかったという残酷な指摘!そして「嘘だ嘘だ」と喚きながらも本心ではそれが真実だと理解している美袋くん!最高……。
 たしかに美袋くんって表面上では倫理面を気にするそぶりを見せるんだけど、いざ自分の身が危うくなったり実利が絡んでくると簡単に「まあそんなものだよな」と割り切ってしまうところがあって、本当は誰のことだって愛してないし究極的には人が死のうが生きようがどうでもいいと思ってるんだよね。なんで彼がメルカトルと仲良く(?)できるのかって疑問の答えは結局そこなんだよ。人を心の奥底でどう見ているかという部分が二人は似ている。メルの言うように彼らは二人とも「愛情や人道、正義感など信じるに値しない」と思っている、これに尽きる。メルカトルは美袋くんの本質を見抜いているし、美袋くんはメルカトルが自分を見る目が間違っていないと確信している。そこにはたしかに「絆(この2人には世界一似合わない言葉だが)」があるんだなあ。そうじゃなきゃ10年友達(と呼んでいいのかわからない何か)なんかやってられない。

追記:改めて読み返してわかったのだけど、結局は美袋くん個人の感情の話なのだからメルが何と言おうと彼自身が心の底から「あれは愛だった」と信じられるならそれが事実となったはずだ。しかしメルが放った「それはただの同情だ」という言葉が美袋くんを縛りつけ、もしかしたら他の要素も含んでいたかもしれないのに「同情」というたった一つの事実として確定させてしまった。なぜなら美袋くんにとって探偵としてのメルカトル鮎の言葉は絶対的なものだから。「メルカトルの言うことに間違いはない」と一番信じているのが彼だから。その言葉を聞いてしまった時点でもう聞かなかった頃には戻れない。

「小人閑居為不善」
 今度は犯行の唆しですか……さすがすぎる……。直接「〇〇をやれ」と指示したわけじゃなく迷っている人をほんの少し後押ししただけなので法的には絶対に罪に問われないところが……最悪の野郎だ……。犯人が被害者になりすましてアリバイ工作なんてのはよく使われる手だけどまさかこういう展開になるとは。というかこの話のヤバいところはそこじゃなくて、自分の退屈を紛らわせるために殺人を誘発するというメルの外道ぶりと、この後本当にメルが警察に通報したかどうかがわからないところなんだよ。メルならもう自分の興味を引くことはないから通報しないとかいう展開が普通に考えられる。最悪だなコイツ……。

「水難」
 ガチの幽霊を容認するところにびっくりした。推理小説って基本的にそういうのはトリックにするじゃない?井戸に浮かぶ骸骨とか土蔵の扉にデカデカと書かれた「死」の文字とかシチュエ―ションがいかにも過ぎて歓喜してしまった。
 事件の内容はそこまで突拍子がないものではなく、昔うっかり殺してしまったクラスメイトの死体を隠した子らが数年後に復讐っぽく殺されるなんてベタ中のベタなんだけど、普通なら幽霊の名を借りたリアル犯人にするところを、あえて幽霊は残しつつ犯人の自業自得で終わらせるというところがよかった。
 しかしなんといっても1番の見所は美袋くんが本気でメルを殺したいという衝動に抗えなかったところだよ!あそこは読んでて興奮してどうにかなりそうだったね。メルが憎まれる理由を完全に理解できるがゆえに「行けーーっ!やっちまえーーっ!」と確かに思った。ホームズに本気で殺意を抱くワトソン役……新しいな……。しかもメルがその殺意を見抜いていてその場では指摘せず、あとで交渉の材料、むしろダメ押しの一部として平然と使ってきたというところ!たぶん本当に殺されたとしてもメルは「ついにこの時が来たか」としか思わないんじゃないか?まあ実際はそんなことする前に一作目で死んでるんだけどな!アッハッハ! 

 でも美袋くん……「物書きとはこういうものだ」とか言ってるけど何一般化して自分の薄情さから逃れようとしてんの?そりゃ信念の無い物書きだって探せばたくさんいるだろうけども!有栖川先生(キャラの方)の圧倒的品行方正さ・善良さを見て!?

「彷徨える美袋」
 美袋くんまーた犯人の嫌疑をかけられているよ……。まあ探偵物にはよくあることだけど、事件にたまたま遭遇する部外者なんて普通に考えたら怪しまれるよね。
 しかし美袋くんは「困ったときにはメルカトル」が板につきすぎだろ。彼はメルカトルのことを人格は最悪だけど実力だけは本物だと理解しているから、メルが本気で言っていることなら間違うはずがないというある種絶対の信頼を抱いているよね。信頼とか美しい言葉がカケラも似合わない関係だけど……。
 問題はメルの人格、本当にこれはどうしようもない……まさか自ら友達を誘拐するなんて……。いつもはなんやかんや窮地を救ってくれるのでつい水に流しそうになっちゃうんだけど今回はだいぶ一線越えたね!?「いざとなったら救いの手を差し伸べてあげるさ」とは言ってたけど、具体的にどうするかはわからないし万が一に間に合わない可能性とかを考えると美袋君が殺される可能性はゼロじゃない。その万が一で友達が殺されても「あーあ」で済まされそうで怖い!!でもそうなると流石のメルも「負けた」判定になりそうだから必死で阻止するのかな?そうは言っても実際一作目でメルは死んでるわけだから絶対に安全とも言い切れない。それにいざとなったら助けるつもりでいたということは美袋くんが行き倒れ寸前になっていた時も近くにいてその様を監視してたってこと……?こっわ……。想像したら誇張抜きで背筋が寒くなった……。そうでなかったら美袋くんが道に迷ったりしてペンションに辿り着けずに死ぬ可能性を許容していたことになるし……。美袋くんやっぱ友達は選べよ!コイツはやめた方がいいって!やめないんだろうけど!

追記:『メルカトル悪人狩り』で「メルの行動=神の思惑」と言っても過言ではないような書き方をされていたのを知った後だと、たしかにメルは美袋くんが死ぬことを許容していたわけではないということがわかる。メルにおいては計算違いという現象は絶対に発生しないからだ。だからメルが「美袋くんは死にかけるかもしれないが決して死にはしない」と想定したのならばその通りのことが起こる。ただ、自分の利になること(名声や報酬など)が無いとわかれば死人が何人出ようがおかまいなしのメルが「美紀弥は死んでもいいけど美袋くんが死ぬ展開は求めていない」と考えたという事実はなかなか趣深い。少なくともメルにとって美袋くんは大抵の人間よりも生きていてもらう意味がある存在ということだから(そうさせているのが友情などとは決して呼べない何かであっても)。


まとめ
 どの話も冷たくて捻くれてて「普通ならこうするだろう」を微妙にずらしてくる展開。私はこうやって「騙された!」という瞬間を味わうためにミステリーを読んでいるので、この清々しいくらいの倫理感ゼロっぷりが大好きだよ。怖いし後味悪いのに惹かれてしまう……。
 でもここまで完璧で絶対に負けないメルを描写されると一作目でおとなしく殺されてたのが本当に不可解。もしや自分が殺されるところまで計画通りだったのか……?

摩耶雄嵩『鴉』感想

 すっっっごく面白かった。
 まず主人公の名前がカイン!弟の名がアベル!もうそんなの絶対弟殺してるじゃん!あまりに露骨なのでそう思わせたいだけで後々裏切ってくるのかと思ったら、事実としてはその通りだったのが意外だった。でもストレートなのはそこだけで、捻り方が二重にも三重にもなっていてただの弟殺しでは終わらず、実際に殺したのはまさかの15年前。さらにまさかの二重人格。まあこれ自体は一人二役なんてよくある題材だけども、散々「弟が羨ましい」「弟に成り代わりたい」などの独白を挟んでいたからそれが明かされたとき「このためだったのかー!」という感動があった。冷静になったら「この二重人格設定いるか?」と思ったんだけど、これが無いと村から帰ってきた弟を殺した犯人が宙ぶらりんになってしまうからかな。普通にカインが殺したばかりで、村から帰ったら捕まる展開でも成り立ちそうだけど、巻末解説の「同一の存在への暴力と異端の存在への暴力を描いている」が真だとすると、最後に「カインが弟に成る=同一のものに還る」という部分が重要だったのかも。最後も弟と同じように川に流れて行ったし……。というか弟がカインの中の人格ならいつ殺すかもカインのさじ加減だから、弟に関して作中で書かれた何もかもがカインの脳内ストーリーを綺麗に終わらせるためのものでしかなかったってことで……。いろんな意味ですごいなこの主人公……。でも殺したのが15年前ってことは高校のエピソードとか何だったの!?成績が人格によって乱高下してたってこと!?
 何より最高なのはカイン=櫻花の叙述トリックで、「弟側」として登場する橘花と名前を似せることであたかも櫻花と橘花が兄弟であるかのように誤認させる手法。見た目も名前も「書かれなければわからない」という小説ならではの騙し方。私はこういうのが見たくて推理小説を読んでいるといっても過言ではない。弟を妬む兄という構図は世界中どこにでもある構図なだけに、ただの共通点かと思い込みやすい。私はあまりに櫻花が「弟」としか呼ばないものだからこれはミスリードなんじゃないかとなんとなく察せてたけど、まさかこの子がカインだとまでは察せなかった。
 続いて最高だったポイントはまさかの村人ほぼ全員が色覚異常という大胆なトリック!これはしつこいほどヒントが多かったのもあって私も気付けていた。村人の服や壁や床の奇抜な色だとか鬼子の作った梅模様の着物とか大鏡様の紋様とかね。何より紋様に「火」があるのにそれが赤じゃないってそんなことあるかなと思って……。冒頭にカインのウィンドブレーカーが緋色ってあって「意外と奇抜な趣味ね……」と感じたのがここで繋がるか!って感じで、紅葉が示した道の記述を見たときに確信に変わって雷に撃たれたような感覚だった。村人ほぼ全員が先天的異常、なんてありえるのか?と思ったけど何百年も外界から隔絶された秘境なら全員が近い血族ってのもありえるかなと。
 3つ目の最高ポイントはやっぱり大鏡様。何をやっても大鏡様の言うことだから全部正しいとされてどんな論理的な反論も「神だから」で封じ込められる理不尽。しかし現人神などと崇められていても実際に人々が信じているのは神本体ではなく、神という役割そのものである。バラバラな人々をまとめ、共同体として成立させるための掟としての神。人を支配しているように見えて実質支配されているのは神の方という皮肉がたまらない。さらに皮肉なのは村人たちにはその自覚すらないということ。神の力など無いと認めてしまえば自分が今まで生きてきた世界が崩れてしまうということを深層で察しているがために、仮に不信を抱くような出来事が現れても脳がそれを拒んでしまうことがある。そして土地争いという現実的な問題でも己の欲望を理由とした行動だとすると角が立ってしまうが、神が認めたというお墨付きさえあれば一家惨殺ですら罪ではなくなることの恐ろしさ。そういったシステムを維持するためには神の人格などというものがあってはむしろ邪魔なのだ。大神様は神ならば絶対的な力で世界を意のままにできるはずなのに、本当は何も自由にできないただの政治の道具でしかなかった。祭り上げられる神も、無残に排除される鬼子も元を辿ればシステムの都合で生かされるか殺されるかの違いでしかないということ。人間がたくさん集まるとどうしてもこうなってしまうのか……と軽い絶望を覚える。でもフィクションにこういうものが出てくると死ぬほどテンションが上がってしまうというジレンマ……!
 それにしてもメルカトルの野郎、めずらしく早いうちから真面目に探偵やるのかと思ったら、いつものようにもったいぶったことを言うだけ言って龍樹家の恨みを晴らして勝ち逃げしやがった!ここで龍樹の名前が出てくるか!ってのもこの本の好きなポイントだけども、母方の複雑さも併せてメルカトルくんは本当に数奇な生まれだね…….。しかし彼の父の一族が受けた仕打ちについて語る時に怒りが滲んでいたという記述が私には結構意外だった。メルにとって家族に対する感情とはどのようなものなのだろう。鬼子騒動が起こったのが42年前ということはメルはまだ生まれていないはず(30代とどこかで書いてあった気がする。少なくとも42歳以上には見えない)で、自身の名誉や財産が害された時に憤るのはいつものメルだが、自身が生まれる前の父親の復讐まで守備範囲だとするとあんなのでも家族にはそれなりの愛情というか同胞意識のようなものがあるのだろうか。『翼ある闇』で椎月が死んだと聞かされた時の動揺を額面通り信じるとするならそういうことになるけど……。でもメルだしな……。他人には冷淡でも身内には逆に強い情を抱いている人もいるのでそのパターンでないとは言い切れないけど……。でもメルだしな……。

 カインに真実を突き付ける時のああいう突き放した言い方はいつものメルらしくて安心する。無慈悲といえば無慈悲だけど自己陶酔激しいカインくんが言葉の刃で一刀両断されるのはある意味自業自得なので……。メルは他人の自己満足劇場に巻き込まれるのが大嫌いだろうから。むしろカインくんに対して終始ほとんど皮肉を言わないのが意外ですらあった。
 麻耶先生の本は全体的に勿体つけたうえ突き放してるというか冷めた文章だなあと思う。でもそれがいい。作者が犯人の自己陶酔に寄りすぎていてねちっこいのは好きじゃないし……これぐらい突き放してくれた方がいいな。

 

『ペルソナ5スクランブル ザ ファントムストライカーズ』感想

 神ゲーだった。
 ロイヤルもすっごく面白いんだけどそれなりにモヤモヤとか不満もあって、でもこの続編によってそういう引っ掛かりがだいぶ解消されたかな〜という気がする。

 今回「近衛明」という、怪盗団と同じように"正義"を掲げて"世直し"を目論む相手と対峙することになって、「認知世界を利用した"洗脳"と"怪盗団が行う"改心"はいったい何が違うのか」という命題に真正面から切り込んだのが素晴らしかった。無印およびロイヤルでは怪盗団を糾弾するのは明智の役割ではあったのだが、彼個人が歪んでしまっていたことと殺人というタブーを犯していたこと、主人公にとって友になれる存在なのかそうではないのかなど、いまいちはっきりしなかった点が多かったため、単純な「違う正義」として扱うには消化不良な存在だったと私は感じていた。無印発売から3年半ほど経つが、この「なぜ怪盗団は自分たちの正しさが絶対だと信じられるのか?自分たちの価値観に人を従わせようとするのは"敵"と同じではないのか?」という疑問は、プレイヤーの間でしばしば話題になっていた。そうは言っても私自身はそこまで気にしていなかったというか、なんとなくわかっているような気がするけど明確に「これだ!」という理屈は見つけられずにいた。これはゲーム本編がかなり長いうえに、途中怪盗団が名声に目が眩んで暴走するなどして話の主軸がブレたのと無関係でないと思う。その点、今回のスクランブルでは全体の流れそのものが程よい短さに収まり、テーマからなるべく離れずにストーリーが展開されるのでわかりやすかったかなと思う。
 その疑問に対する回答として、ソフィアがこれ以上ないくらい明確に言ってくれている。「お前らの改心は人を檻に閉じ込めるが、怪盗団は外に連れ出してくれる」というもの。私はこれを聞いて目の前がパッと晴れたような、「な、なるほど〜〜〜」という気持ちを得た。怪盗団が奪うのは"歪んだ"欲望であって"ネガイ"そのものではないわけだ。月日の経過、もしくは外部からの影響で本来の姿から歪んでしまった欲望を奪い、あくまで"本人の最初の願い"を呼び起こすのが怪盗団のやり方。シャドウをボコボコにはするものの(これはゲーム的な都合が大半だと思う)、最後には説得で改心させてきたからね。あくまで怪盗団は、普通の人には出来ない異能の力を用いることで更生を手助けするのが役割で、本当に「変わりたい」と願うのは本人ということになる。だから近衛が言ったように、このやり方ではすべての人を救うことは出来ないし、説得が通用しないくらい"生まれつきの性根そのものが悪"の存在には通用しないやり方だと思われる。異能をもつ怪盗団といってもあくまで人間であり、自分のキャパシティーを超えた数を救うのは不可能。だからそこ近衛やEMMAは神を作ろうとしたわけだけど、やはり「神の支配と人の自由意志は共存できない」という、アトラスお得意のいつもの展開になる。(これに関しては正直「またそれかーーい!」という気持ちが浮かんでしまったが、ペルソナ5のテーマが「反逆」なのでそうなるのはもう仕方がないかなと思う。)
 さらに私は、このペルソナ5スクランブルのテーマは「支配への反逆」に加えてもうひとつ「友情」があると思っているのだが、なぜかというとソフィアの「人の良き友人になれ」という言葉に始まり、各ジェイルの王に対応するパーティーメンバーがそれぞれいたり、一ノ瀬久音の孤独だったり、"つながり"に関係する場面が散りばめられているから。"つながりの強さ"自体はペルソナ3からずっと制作が推しているテーマではあるが、今回は「主人公と誰か」ではなくパーティーメンバーがそれぞれの新しいつながりを見出していくという点で新鮮だった。無印では改心した後の相手と積極的な関わりをもとうする人が出るシーンはなかったが、今回のターゲットたちには罪を認めて償うと宣言した後に必ず「待っているから必ずやり直して帰ってきて」と言ってくれる人がいる。私はこの点が本当に素晴らしいと思っていて、孤独ゆえに暴走してしまった人たちに必要なのは頭ごなしの正論・説教ではなく「私があなたの友になる」という言葉だと私は常々思っているからだ。説教だけして「じゃああなたが私の友になってくれるのか!?」と問われたら気まずそうに目をそらす……なんて空気になったら嫌すぎる。
 「人を救う」ためには自分だけ安全な場所から見物するのではダメなのだ。"救い"とはそれだけ重く大変な行いだから。だからこそ怪盗団の「誰かに勇気を与えたい」という願い、そして実際に行動に移せることは本当に讃えるべきものだと私は思う。些細なことで歪んでしまうのも人間なら、何気ない言葉で救われてしまうのも人間で、「誰かとの繋がり」「友情」が大きな希望になることがある。

 そうは言ってもゲームはエンタメだから、「話し合っても何の解決にも至りませんでした」とか「帰って溝が深まって取り返しのつかない事態になってしまいました」などの、現実ではあり得そうな胸糞悪い展開は楽しくなれないのであまり作れないと思う。「怪盗団のように他人の苦悩にいちいち寄り添うなんて無理だよ!」と言いたくなるような感覚もなくはないが、やはりエンタメは「これから生き続ける人間のための希望」なんだなと思う。そこのところは割り切って楽しむしかないだろう。

・一ノ瀬久音について
 ペルソナの科学者とか研究者ってのはだいたい元凶だから絶対この人が黒幕だろと思ってたけど、まさかこんなに好きなテイストで来るとは予想していなかった。
 人を安易に「心がない」とか認定するやつはだ〜〜れ〜〜だ〜〜!もう気軽に「サイコパス」とかレッテル貼りするのはいい加減やめるべきなんじゃあないかな、と私は思った。だって何かを「知りたい」とか「欲しい」とか願ってる時点で心、もってるじゃん……。もうソフィアの指摘が入る前から私は「本当に心がなかったら研究者なんてならないが!!??」と絶叫したい気分だった。「今とは違う何かになりたい」「違う場所へ行きたい」「知らないことを知りたい」と思った時点で心だよ。ソフィアさんが「変わりたいと願うのが心だ!」って言ってくれてもう感動。そのうえ「寂しいなら私がお前の友になる」なーんて言われちゃあ……友情って本当に最高だなあ〜〜。

・その他、ストーリー以外のゲーム全体について
 戦闘がね、すっっっごく面白かった。ゲーム下手くそ軟弱野郎なのでもちろん難易度はeasyにしたが、easyでもなかなか手強い。ハッキングの時の双葉を守りきれなくて殺したり、SPが足りなくて焦りまくったりとかしたが、それでもさすがペルソナというか、爽快感がもう最高。それに加えてペルソナ最大の強みであるスタイリッシュな演出!総攻撃時のオシャレかつちょっとコミカルな感じが素晴らしかった。Show Time演出なんかもとにかく凝ってて美しいわカッコいいわ。音楽も無印より軽快さだったり獰猛さを感じる部分が増えて、ギターREMIXとか心が震えた。
 あと素晴らしかったのは旅ゲーなところ。現地の風景の再現度が高いし、そこをピョンピョン飛び回れるのもよかった。ご当地名物とかもあったし。特に無印でできなかった花火大会のフラグが回収されたときは感動した。
 ペルソナ5スクランブル ファントムストライカーズ、本当に神ゲーです。ありがとうアトラス、コーエーテクモ

『ペルソナ5ロイヤル』感想

 これが製作陣の"答え"ですか……。
 まあこういう感じで来ることは大体予想ついてた。黒幕が初登場した瞬間「あっコイツ怪しいな」と思ったし、人の心を救う研究とか言い出したとき「あっこれ絶対『誰も傷つかない世界でみんな仲良く暮らそうよ』と主張して"幸せな世界"にみんなを閉じこめようとしてくるな!」と思ったよね。カリギュラでも全く同じことしてませんでしたか?別に特定のゲームの名前を挙げなくても「誰も傷つかない世界を作ろうとするラスボスVS痛みは生きている証なんだパンチ」の構図は古今東西でやり尽くされていることなので、ぶっちゃけ「またそれ?」感は否めなかった。誰が何をやっても結局「それでも生きていくしかない」に着地する以外にないのは、「生きている人間が作る生きている人間のためのストーリー」の限界なのかもしれない。 

 でも今回ただの「痛みは生きている証なんだパンチ」ではないなと感じたのは、モルガナが最後に言った「確かにお前の研究で救われた奴もいる、でもこれから成長する奴らの可能性まで奪っちゃいけない」ってところかな。要するに黒幕は「自分が辛いからみんな同じように辛いはずだ」と思っていたわけで、「自分は辛くても頑張りたい」という人の存在は見ていなかった。それに加えて、"味わわない方がよかったはずの不幸な事故"と"何かを掴むために努力する過程で生まれた苦労"をごっちゃにしてしまった。例えば留美さんが強盗に襲われて精神に多大な損害を受けたことを「成長のための試練だった」なんてほざく人間がいたらソイツは最低最悪の人でなしだと私は思う。そういう取り返しのつかない悲劇や何も得るものがなかったような単なる損失の記憶を忘れてしまうことは、確実にその人にとっての救いになるだろう。けれど怪盗団のように"得たもの"がある人間から苦痛の記憶だけ除いたら、連動している"得たもの"の記憶まで失ってしまう(苦痛の記憶だけ除いて、得たものだけ勝ち取れたら完璧だけどそこまで改ざんしたら辻褄が合わなくなる)。つまり丸喜先生の問題は「救いたい」という気持ちの方ではなくて、対象をむやみに拡大し過ぎたことの方だと私は思う。
 まあそんなことが言えるのは結果を見てるからだと思わないでもない。だって双葉のお母さんも真のお父さんも春のお父さんも、生きていた方が絶対幸せだったのにって思ってしまうのはもう仕方のないことだから。怪盗団のみんなが前を向けてるのはジョーカーが奇跡的に目の前に現れてくれたからであって、それがなかったら時間切れバッドエンドのようにみんなが破滅してた未来もあり得たわけだよ。

 世界には立ち上がれる人間ばかりじゃないから、手を差し伸べるべきは"ジョーカーが来なかった人々"の方なんだけど、ここで一番大事なのはやっぱり"自分の意思で"「救われたい」と願っている人かどうかだと思う。救いたいと願っている人間の方にだけ決定権があるのがおかしくて、救いたい人間と救われたい人間、両方の需要が一致して初めて"押し付けでない救い"が完成すると思う。つまり、前述した"取り返しのつかないただの悲劇"と"何かを得るために必要だった苦労"とを分けることができるのは、絶対にそれを"自分で体験した人"のみということ。それが「自分の未来は自分で決める」ということだと私は思う。自分が「こんな記憶忘れたい!救われたい!」と願った結果丸喜先生に縋るのなら、それもまた「自分で選んだ未来」なわけ。ただ怪盗団はそれを選ばなかったっていうだけのことで……。
 私はどちらかというと丸喜先生の言うことがわかる方の人だから、本当に救いが実現するのなら先生の手を取ったかも。ペルソナ5の私はプレイヤーであると同時にジョーカーでもあったから、ジョーカーなら絶対そんな安寧に身を委ねたりしないだろうと思って戦うことを選んだけども。

ここからはロイヤルでの大きな追加要素だった3人のことを語ります。

明智のこと
 私がこのロイヤルをやったのは9割方明智のためと言っても過言ではないくらい私は彼に対して巨大感情を持っています。何を隠そう、私は無印ペルソナ5の本当の1週目で明智の裏切りにまっっっったく気づかなかったほどの"恋は盲目"の体現者です。初めて見たときから「仲間になってくれ!」と切望していたために「仲間として一緒に戦える」という状況に浮かれきり、「今は仲間だよ」という彼の甘言にすっかり乗っていた!パンケーキ発言にもまっっったく気づかなかった!これも認知の歪みの一種ですね。
 それならば本性を現したときに嫌いになったかというと全くそんなことはなく、二面性のある人間が大好きなものでますます愛してしまった。むしろ「俺(ジョーカー)だけに見せる剥き出しの憎悪と悪意、最高!」などと思っていたことを供述します。
 そんな明智の死に際を見ることができなかった無印ペルソナ5……死体を見ていないから確実に死んだという事実が確認できないというやるせなさ……。でもそれがあいつの選択なら仕方がない、最後に自分自身という最大の敵に抗うことを選んだアイツの反逆の心を否定したりしたくない、そう思ったからこそ安易に「幸せになってほしい」だの「救われてほしい」だのとは言いたくなかった(彼自身が犯した罪の重さから言ってもそんな軽い結末許せないという点もあった)。
 そんな折にロイヤルの発表と新情報に映った"明智"の姿……!「アトラスの答えを聞きたい、アイツの"幸せ"って何よ……"救い"って何よ……!」という、恐れ半分期待半分の心境で挑んだわけです。そして見ました、製作陣の"答え"を。
 やっぱり奇跡なんて……起こらなかったよ……夢は……夢のままなんだね……。
 一緒にパレス探索して、セーフールームで雑談して、バトンタッチとか超かっこいいコンビネーションフィニッシュとかやったりして、バトルで俺がヘマしたら「倒れたら殺すぞ!」とか言われて……。明智があんだけカッコつけたのに初陣で敵がエイガオン無効で大笑いしたり、暇なときはダーツなんかやっちゃったりして……こっちがど真ん中撃ったら対抗して全部ど真ん中にしてきて……。そういうなんでもないような"仲間"をお前とやりたくて……。別に仲間でなくてもいい、好敵手でも、殺し合いの相手でも、なんなら刑務所に無期懲役でもいい!生きていてほしかったよおおうわああん!刑務所に面会行くからああ!
  何より泣いたのは明智自身が生きることを願ってないってこと。「誰かに生かされるなんてゴメンだ」とハッキリ言われてしまい、ハナから明智のためだなんて思ってなかったけどこの「生きている明智とまた会いたい」という願いは完全に私の寂しさを埋めるためだけの気持ちなんだと思い知らされた。そのことに気づいた時点でもう"気づかなかった頃の自分"は死んだのだとわかってしまった。これで夢の中を選んだとしても私の願う幸せはどこにもないだろうと理解して、戦うことを選ぶしかなかった。丸喜先生は認知を変えることで人を救おうとしたけれど、逆に言えば認知が「それは嘘だ」と思ってしまったらもう信じることはできないんだよね。
 彼の人生があの時終わることは明智自身の選択の積み重ねの結果で、彼自身が生きたいと願っていない以上、それを変えることは誰にも許されない。前述の通り、救われたいと願う人を救うのは正しい行いだけれど、願わない人に押し付けることは許されない。本当にその人を尊重したいと思うのなら。
 いや本当に明智のためとか微塵も思ってないからね。徹頭徹尾俺のため、俺の夢だから。誰がお前のためになんか動くか!勘違いするんじゃないわよ!

 というか最後の別れくらい言わせてくれてもよくない!?明智のバカ!と心で罵りながらボーッとムービーを見てたんだけど最後の亡霊みたいなのは何!?思わせぶりなことを!人気があるからって人生終えた後も生死をぼやかしたまま後続スピンオフにこき使われる運命だけはやめてよね!EDの「もう二度と会えなくても」のところで号泣した後にそんな匂わされても!

・"かすみ"のこと
 今時ハイレグは無いよデザイナーさん。新体操モチーフなのは後でわかったけどそれを差っ引いてもダサイよ。股間周りを肌にする必要は絶対無かった。回想で出た新体操の服の方が可愛いって!
 私は清楚系の後輩キャラが好きなので制服の外見見たときには「おおっ?」と思った。でもあまりに品行方正でいい人だったので「欠点が無いと愛せないな……」などと捻くれたことも思っていた。ペルソナ覚醒の時に「偽りの栄華」と言っていたので「まさか本当に死んだのはかすみの方でこの人はすみれとか?なーんてね」とか冗談半分で推測してたらホントにそれかい!!(ミステリーあるある:そっくりな人間が出てきたらすり替えを想定しろ)
 彼女が「自分には何にもなくて、かすみは何でも持ってる。自分なんていないほうがいい」と思っていたけど本当は違っていたと気づくコミュが最高だった。自分を見せるということは相手からも何かが返ってくるということであるから、かすみの言った「自分をすみれに見せつけたい」という言葉は「すみれに自分を見てほしい」ということである。価値が無いと思っている相手にそんなことを思うわけがない。すみれが「かすみは私のことこんなにも想ってくれていたんですね」と姉妹の間の絆に気付けた流れが本当に素晴らしかった。
 丸喜先生は確かにすみれを救っていたと私は思う。自分のせいで才能豊かな姉が死んで、残ったのは誰からも望まれない自分だけ……なんて状況、逃げたくなって当たり前。だから私はすみれを先生から助けるときのジョーカーの説教には納得できなかった。重すぎる現実に対して「現実を見ろ」とか「自分と向き合え」とか軽すぎるよジョーカー先輩!そんな軽っ軽の言葉じゃ何も響かねえよ!"あのときの"すみれには逃げ場が必要で、先生がそれを用意した。その逃げ場にいる中でも深層ではうっすら本当のことを理解していた(と私は推測する)。そして時が経ちジョーカーに出会って「このままではいたくない」と思ったから"今"は逃げ場が必要なくなったというだけのことで、過去の先生の救いが無意味だったわけじゃないと思う。

・丸喜先生のこと
 もうここまででだいぶ語ったけど、先生は優しい人だったんだよ。カウンセラーの限界を感じて仕事は仕事と割り切るのではなくもっと救う方法を探しちゃうくらい優しい。先生のやり方で本当に救われた人も絶対いる!私がジョーカーじゃなかったら絶対戦うとか無理だった。でも最後倒したと思ったらいきなり古風すぎる殴り合いが始まって「今時これ!?」って声出た。急に古めの少年漫画始まった!?
 先生を死なせなかったのは、明智が死んでるから先生まで死なせたら二連続で「死んで終わり」展開になっちゃうし、明智と先生では"人殺しの壁"という巨大な障壁が立ち塞がってるから先生の方はまだ生きて償う余地はあるということなんだろうか?まあ足立さんは殺しても生きて償ってるしそこは関係ないか。

・ゲーム全体のこと
 コミュ全部終わんねえよ!パラメーター上げがあるとやっぱ無理。パレス攻略可能な限り1日で済ましたけどそれでも間に合わない。獅童パレスの前、仲間が誰一人出てこない空白の午前中が何日も続くのはマジで何なの!?何をしろと!?その時間あれば絶対終わったって。完全版のくせに意地でも二週目をやらせたいという熱意が見える。
 これは無印からずっと言われてるみたいだけど、制作がガチガチに決めた枠組みの中から全然出られなくて拘束時間が長い!自由に行動できる時間が少ない!「あっち先に調べよ〜」と行こうとしても「そっちじゃねえんじゃねえか?」とか言われる。それを自分で探すのがゲームでしょうが!不評だった「今日はもう寝ようぜ」が無くなったのはその辺制作も気にしたからなのかもしれないけどでもまだ全然ギチギチだよ。敷かれたレールの上を一番歩かされてるのはプレイヤーだよ。
 BGMは相変わらず素晴らしいの一言。特に良かったのは丸喜先生との最終決戦に向かうときの曲!直前に明智の真実を聞かされて号泣してなお戦うことを選んだ心境にぴったりの、熱いだけでも悲しいだけでもなく静かにみなぎる決意!
 戦闘もだいたい文句なし。テンポの良さに関しては今時のターン制ゲームとして最高峰だと思う。無印では泥仕合になりがちだった弱点無しの敵に対しては、テクニカルやバトンタッチで攻めるという攻略法が新しく確立したのも良かった。ただ雑魚戦は良くてもボス戦(特にラスト)はスタイリッシュ演出に時間を割く分高難易度でいちいち死に戻りしてたら一生終わらない長さになっているのが難点かも。
 とにかく長いよこのゲームは。無印ですでに何度も見たシーンは全部早送りしたけどそれでも死ぬほど長い。どうせコミュ以外の選択肢にたいした意味なんて無いんだから早送りじゃなくてシーン丸ごとスキップしたいよ。無印ですら長かったのに今回でさらに延びたからね。プレイ時間のほとんどは操作じゃなくて映像と会話を見てたね。とはいえ世界観解説や心理描写に避ける尺は多いほうがいいので、とにかくスキップ機能をもっとまともにしてもらいたい。どうせこれで完全版だからもう改善とかしないと思うけど。というかパレスが七つの大罪モチーフなのは薄々知ってたけど、8つ目をプラスするにしても悲嘆が一番最後というのも不思議だから、最初からペルソナ4ゴールデンのように完全版を作る気でいたんだと思う。無印のEDの歌詞なんて内容がロイヤルで追加されたストーリーほぼまんまだし。制作の思惑にまんまと乗せられてプレイした私が言うことでもないが、最初から決まってたなら最初から完全版出せよ!金か?金が足りんかったのかな?
 こんな感じで不満は挙げればいっぱい挙げられるけれどそれ以上に楽しかったり泣ける要素が詰まってるから結局大好きなゲームなんだよな……。そうじゃなきゃ4周もしてないし……。そしてコミュ全埋めのためにまた周回しようとしてるし……。でももうスキップ地獄は当分やりたくないからしばらく期間は空ける。

『Detroit: Become Human』感想

 ストーリーの評判がいいのでやってみたけど、いやもうコナーちゃんが可愛い!警察に初めて派遣された捜査専門のアンドロイドとかいう超絶エリートなのに最初から妙な愛嬌があって、「この人大好きになる予感がするな…」と思っていたが案の定最後までチャーミングだったね。ハンクおじさんの好感度を上げたくて頑張って選択肢選んだのに何回か地雷踏んでしまってしょんぼり。個人的には人間のためというよりハンクさんを守りたかったから、2人のコナーくんから本物を選び取るシーンとか最後2人が朝日の中抱き合ってるシーンを見たときは最高に人生の喜びを感じた。コナーちゃんが感情に目覚めないルートもあったのだけど、ハンクさんに嫌われちゃうことに耐えられないのでやらなかったくらい。 

 感情移入という点ではたぶんマーカスが一番だったと思うけど、彼の元ご主人様のカールお爺様、すっっごくいい人すぎてこんなご主人様いたらそりゃ愛してしまう。ただのアンドロイドに対して「自分で考えて絵を描いてみなさい」とか言ってくれる人なんてまず居ない。一般的にはアンドロイドって「積極的に暴力を振るいたいとは思わないけど自主性なんて抱いてほしくない」存在なワケでしょう。私は「それ自体」は大した罪ではないと思う。少なくとも常識的に考えればアンドロイドは人格をもつ者ではなく機械の延長として生み出されたのだし。それなのにある日突然自我が芽生えて「命令なんてされたくない」とか言われたら驚愕するのは当然の反応だと思うから。アンドロイドが「殺され」て可哀想と思うのはプレイヤーがアンドロイドを操作してるからであって、人間からしたらそもそも生き物ではないのだから虐殺には当たらず、ただ不具合の出た道具を「責任を持って」処分したというだけの認識だろうな。
 愛するご主人のドラ息子との諍いで廃棄されてしまったマーカスくんだけど、生き延びることへの執着が半端ないし、新入りのくせにジェリコのリーダーになってしまうほどの器なのはプレイしてて驚きの連続だった。やっぱ自主性を育てるカールさんの教育の賜物なのかなあ。彼が人間許せねえって言う度に「お爺様のこともそう思うのか…?」って心配だったけど終盤で墓参りして「あなたに会いたい…」って弱音吐いてて安心した。
 1週目は平和か暴力かどっちつかずな態度をとっちゃったので平和デモした後ジェリコ襲撃されて「もう我慢できねー!」って戦争仕掛けて、でも私がゲーム下手くそだから普通に戦争に負けてマーカスくん死んじゃって結局何も得られない悲惨な最期を迎えた。しかも「投降すれば撃たない」って言われたから投降したのに無慈悲に撃たれて人間の醜さを呪いながら死んだ。それで2回目は平和方向にしたんだけど「これだけ理不尽な暴力を受けてなおそれって人間に甘すぎねえかな!?」という憤りも感じつつ、でも戦争を始めた時点で物量的に劣勢だから勝てる見込みも薄いため葛藤し、渋々平和を訴えるも軍は相変わらず暴力に訴えてくる。これは攻略サイト見て知ったことなんだけどFBIのおっさんと迂闊に交渉したら死んでたんだって?おのれ人間!

 平和デモの最後なんだけど、一点だけ納得いかなくて、アンドロイドが平和の歌を歌ったら軍が撤退するってロマンチストかな?それまであれだけ殺戮の限りを尽くしておいて歌聞いたら萎えるの?他の選択肢なんか「ノースにキスする」があって思わず「恋愛脳かな?」って声出ちゃったね。いやなんかこう…アンドロイドにも情緒があって愛を理解できる的なアプローチだったんだろうけど、ただの市民ならまだしもそれで納得する大統領ロマンチストやなあ!まあ人々の行動がただの無知と恐怖による反動にすぎないのだから、そんな些細な気づきでも暴力の愚かしさに気づけるよ的な?ことが言いたかったのかも。でもやっぱり、ストーリーをハッピーエンドにこぎつけるためにふんわりオチにするしかなかったのかなあ……と考えてしまった。
 でもマーカスくんの選択は革命でも平和でも偉大だったと思うよ。黙って耐えるだけじゃ心が死んでしまうけど、武力でその時だけ解放された気になっても一度始めた暴力の連鎖から脱出することは難しい。こっちが平和的に進めようとしても容赦なく撃たれて死んでいく仲間を前にして「平和のために非暴力でいる」という姿勢を保つのもとてつもない勇気が必要。しかも責任者として立つ以上どちらを選んでも常に死の危険にさらされているわけだし。しかし人間の殺意が吹き荒れる中で「平和的に」とか寝言言ってると言えなくもないマーカスくんを罵らない仲間がすごいなと思ってしまった。平和的な姿勢を貫いたらマスコミのおかげで世論があっという間にひっくり返って「人間チョロ!」となったのは内緒。

 カーラさんのパートは正直言ってストレスの方が大きかったかな。まず初っ端からリアルめな児童虐待家庭でげっそりしたのと、私が「母性」みたいな概念が嫌いだから。アリスのことは全然嫌いじゃないというか、むしろ子供としては聞き分け良すぎて強いなと思うくらいだったんだけど。DV親父から逃げたと思ったらラルフとかいう危険な青年は出るわ、助けを求めたおっさんはアンドロイド虐待が趣味だわ、私はスニークミッションが苦手だわでストレスの連鎖で……。あとルーサーが加わってあからさまな疑似家族だったのがね……「あーいつものね」という空気になってしまって……。

    それでも人間の女の子と寄り添って生きていくならアンドロイドと人間の共存という大きな希望への一歩となれそうだなと期待してたんだけど、「実はアリスはアンドロイドでした!」でしょ?おいおい共存はどうしたよ!なぜ全員機械なのに「父と母と小さな子供」の形にそんな拘る?それで激萎えしたので選択肢間違えてカーラとアリスが死んじゃってもやり直す気になれなかった。

 

まとめ

 いろいろ言ったけどストーリーのクオリティが高いというのは本当だった。3人の主人公がバラバラに取った行動がラストに収束していくのはワクワクしたし、自分の行動ひとつがいろんな人の命運を決めることになるのが面白くて、没入感という点では100点満点。
 しかし私にあまりにゲームの才能がなさ過ぎて1週目は3人全員死んだのは笑うしかない。コナーちゃんが自害するor諦めるの選択肢で「諦めるって何を!?」とあたふたして自害は流石に可愛そうだと思って避けたらアマンダの思惑通りになって「クッッッソ!なんでだよ!!」となったアホさ。
 ただメタ的なことを言うと、アンドロイドが人間に憧れる物語を求めるのって結局「人間は素晴らしい、人間はこれでいいんだ」と人間以外の誰かに肯定してもらいたいという欲望に過ぎないんじゃないの〜それってどうなの〜という疑念が生まれてしまった。私ずっとこの手の話で「なぜ人間のようになりたいと思うのが当然みたいな想定なんだろう?」と疑問を抱いている。機械には機械にとって最良の幸せというものがあるのではないか?一応デモ行進のスローガンが「我々は人間だ」ではなく「我々は生きている」だったのは単なる人間への憧れと同化願望ではないという意図なのかもしれないが、どうにも人間があらゆる生物の理想形だと思っているような空気を感じたのは考えすぎなかな?