感想置き場

BLとアサシンクリードが好き

『Assassin's Creed Origins』感想(Odysseyも少々)

    いや〜〜面白かった〜〜!

 実はオデッセイから先にやっちゃったんだけど、ギリシアの雰囲気にそこまで惹かれなかったからか、スパルタに与するのに気が進まなかったからか、家族の修復にそこまで興味がなかったからか、ピタゴラスいけ好かないと思ってしまったからか、巨大怪物と戦うためにアサクリ買ったわけじゃないからか、「呼吸しない、の答えが魚っておかしいだろ!えら呼吸知らんのか!?」と憤慨したからか、傭兵システムに超イライラしたからか、まあまあ楽しいんだけどイマイチ乗りきれなかったんだよ。(同性愛要素がたっぷりあったのとバルナバスくんが可愛かったのはめちゃくちゃ好きな点だけど)。

 そうなってみて、じゃあほぼ同じシステムらしいオリジンズはどうなのかと若干心配していたのだけど、ところがどっこい超楽しい。やっぱり主人公が好きになれるかどうかと、行動指針に同調できるかどうかが私にとっては一番大事だと思った。思うに、私はゲームがやりたいというよりは物語を堪能したいだけだから、魅力的なストーリーが無いと何にもやる気になれないようだ。自由度よりもどれだけ没入できるかの方を重要視してしまう。アレクシオス が悪いわけではないけど、前述の通り、ストーリー上用意される目的に私はそこまで燃えられなかった(唯一興味が湧いたコスモス門徒との悶着もラストが微妙にあっけなく感じて……)。その点今回はアサシン教団設立までを辿れるという大筋にもワクワクしたし、主人公バエクくんの復讐がどんな結末を迎えるかにも興味津々だったし、プトレマイオスの圧政に苦しむ人々を助けるというのもわかりやすいし共感しやすいし、何よりエジプトの風景に感動の嵐!れはもう完全に私の趣味でギリシアよりエジプトが好きというだけなのだけど、どこか不気味なのについ近寄ってみたくなってしまうような神秘的な美しさを纏った人工建造物の数々!完璧なシンメトリーで構成された神殿!最高!メンフィスのプタハ神殿なんてあまりの素晴らしさに卒倒しそう。

 

 命の家 巨大すぎる二対の像

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セクメト神殿のかっちょいいモノリス

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最高プタハ神殿

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バエクさんに「思ったより小さい」とか言われた大スフィンクス

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絶対外せないギザのピラミッド

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  どうやら私は広大な山々や海よりも、意味不明な大きさと気の遠くなるような精巧さで作られた人口建造物を眺めて「うおおおお!」となる方が好きなようだ。それが巨大であればあるほど良い。「これを作ろうと思った人も実際に作ってしまう人も到底正気とは思えない……。」と唖然としたい。そしてあわよくばアサシンの超身体能力でその頂上に登り、ダイナミックにイーグルダイブ!なんてことが出来ようものならもう思い残すことはない。(その点ではギリシアの巨大なゼウス像とかアテナ像とかポセイドン像とかもなかなか良かったが、いかんせん神殿類が小さすぎた。)

 でもオデッセイからやって良かったと思った点は、いくつかの街を構成するギリシャ風建築に対して「懐かしい〜!」と思うようになったこと(まるで当時生きてた人みたいだ)。散々聞かされたゼウスだのアポロ(ン)だのを変わらず聞けることもあるし、ギリシア人のような服を着たセラピスとかいう聞きなれない名前の神の名前もあって、それがエジプト人にも信仰されているという事実に、征服者は己の正当性を謳うために神から変えていくのかと戦慄を覚えたりもした。

 

もはや懐かしいゼウス神殿

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「セラピスって誰よ!」なアレクサンドリア大図書館

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    そしてもちろんアヌビスやオシリスなど有名なエジプトの神々の話が人々の生活に溶け込んでいる様もよかった。バエクも当たり前のように信心深くて、遺体を火で燃やすことを冒涜だと言ったり、「葦の原野を渡れなくなるぞ」が最大級の脅し文句になったり、「この街は儀式によって砂漠に捧げられたのだから掘り起こすのは摂理に反している」とか、その時代を生きている人の生(ナマ)の感覚に驚くことばかりだった。やっぱり「時代の空気を肌で感じられる」という点がアサシンクリード最大の持ち味であると私は思う。 
    あと細かいところでは、トカゲの暗殺の時にいつもみたいな高警戒地域ではなくて堂々と正面から入れて、「5人の中で本物のターゲットは誰でしょう?」って展開だったのが一番好きだった。それから象に乗ったターゲットと戦わされて、倒したターゲットが落下死?圧死?したところも好き。それからスカラベに砂に埋められたとき、呼んだ馬がなかなか近寄らなくて困ってたら痺れを切らしたセヌくんが「ピィーッ!」って追い立ててくれたところも超好き。セヌくんが有能すぎて一生愛す。

 

 ここからはバエクとアヤ周りの話。
 バエクくんホント好きだわ〜。真面目で誠実、弱き者に優しいところはもちろん、悪に対しては一転して容赦なく切り刻み殴りつける苛烈なところも好き。そして子供に対してはどんな子にでもめちゃくちゃ甘ちゃんなところがマジで可愛い。あと目の周りが黒いところも超好き。さらにとりわけ好きな点は、大義よりも個人的な幸せを大事にする派なところだな。バエクくんは復讐さえ成せられれば後は夫婦仲良く暮らせればそれでいいという感じで、妻のアヤの方がエジプト全土を救うという大きな目的に身を捧げたい派なんだよね。大抵のフィクションだと男女逆になってると思うので新鮮だった。最初あんなにラブラブシーンをプレイヤーに見せつけてきたのに中盤からだんだんすれ違うようになってしまって、最後には2人が夫婦関係を解消してしまったのはかなり悲しかった。「別に前と同じ性質の愛でなくても、別れるまではしなくてよくない?遠くでも繋がっているよでよくない?」と思ってしまったんだけど、やっぱり個人的に愛する夫という存在をもっていると、それが弱みになったり夫と信条を天秤にかけなければいけない時がどうしても訪れるだろうから、そうするしかないというのもわかる。身の回りの人を大切にすることの延長に自らの国を大切にすることはあるから、決して2人の絆が切れたわけでも愛がなくなったわけでもないんだけど、ただ優先順位が違う。それだけで側にいられなくなってしまうこともある。人間関係って儚い……。アヤの「二度と私のような母親が出ないようにしたい」という信念も、散々人を殺しまくった自分たちが日の当たる人生なんて歩んじゃいけないという気持ちも理解できるが故に。
    しかしアヤはバエクの関与していないところでターゲットを殺っちゃってたり船旅してたりラストのセプ何とかとカエサルという美味しいところをもってっちゃったりいろいろしてたわりに、装備変更不可とかシステム的には妙にとってつけた感じだったな。雰囲気はおまけっぽいけどめちゃくちゃ重要な本編だからチグハグだった。特にセヌがいなくて敵をマークできないのがだいぶ困った。いっそのことフライ姉弟みたいにダブル主人公だったらしっくりきたかもしれない。やっぱカエサルという超大物を殺るのは一から育てた主人公でやりたいという気持ちは無いでもないよね。
    私はバエクくんが伝説級の戦士でありながら名声や権力に頓着しないところが大好き。メインストーリー最後のムービーでバエクが子供を支部に連れて行くのではなくただ手を繋いで家に送り届けるシーン、心底彼らしくて胸が熱くなった。大義のために戦う姿ももちろんいいけど、ただ身の回りの人が健やかに暮らすために思いやりをもてることも、ものすごく大切なことだと思う。
    クレオパトラを信じて彼女のために働いたのに結局裏切られたのは痛手だったけど、そのおかげで人々のために戦いたいという志をもった同志たちに出会えて「隠れし者」となったという展開もかなり熱かった。たとえ時代が違って地域が違ったとしても、虐げられるままを良しとしない人々の意思は必ず存在するから隠れし者の精神は不滅、っていうね……熱いわ……。
    最後バエクはメンフィスにいるし支部もそこにあるから、彼の帰る場所はメンフィスってことになるのかな。シワのバエクではあるけどケムもアヤもいない家に帰ったところで……って感じだろうし(そもそも物語開始時点からホームは塞がれてたし)、シワは故郷であってももう「帰る場所」ではないんじゃないかとなんとなく思う。彼はもうただのバエクになって、隠れし者として皆のために生きることが目的になるのかな。でも彼には彼だけのささやかな幸せを見つけてほしいという気持ちがどうしても湧いてきてしまうね。彼の心が穏やかであってほしい!もう何も損なってほしくない!暗殺者をやっている限り難しいだろうけど……。
 う〜んとにかく面白かった!オデッセイで少々不安になったがヴァルハラにも期待。

 

ホルスに似てるけどホルスではない何か 意味がわからなくてもカッコいい 来たりし者と関係がある?

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「ただのバエク」として放浪した白い砂漠で迎える朝

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メンフィス支部だけにあるホルスの目

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メインストーリーの終わり

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『Assassin's Creed Syndicate』感想

 アクションゲーム、特にスニークの類いが苦手でつい突撃してしまうタチの私が一番苦手そうに見えたアサシンクリードシリーズ。果たしてクリアできるのか心配だったが、「実在の都市を縦横無尽に飛び回れて時代の空気を肌で感じられるゲーム」への好奇心で購入。もちろん詰んだりしたら肌で感じるどころではないので、レビューで一番簡単そうに言われているやつを探した。ゲーマーの言う「簡単」「ヌルい」は私にとってはあまり当てにならないので、シリーズ初プレイの人やゲーム自体にあまり慣れていなさそうな人の意見を参考にした。このシンジケートと、初めてeasyが導入されたというオリジンズで迷ったが、どうせなら古い方を先にした方が後続をやりたくなったときにシステムの進化を感じられていいのではないかと思い、シンジケートに決定した。
    

 その結果どうだったかというと、た〜〜のしかった〜〜!大満足!

 懸念材料だったスニークは、最初は何をどうしたらいいのかわからなくて敵に見つかりまくってボコボコにされたり、ターゲットに逃走されたことに動揺して間違えて殺しちゃって死体を担いで逃げようとしてボコボコにされたりして、あまりのドジっ子アサシン珍道中ぶりに落ち込んでいたのだが、電気爆弾を入手する頃には何とか板についた程度にはなり、メインストーリー最終幕では時間制限ありでも落ち着いてキルし、煙幕を投げて3人以上でも対処できるようになって成長を感じた。

 まず鉄則は物理戦闘をなるべく避けること!アサシンなのだから当たり前といえば当たり前なのだが、序盤はパニクってつい殴りかかってしまうことが多かったので「まず何はともあれ逃げる!」をモットーにしたらだいぶ調子が出てきた。そして何よりも大切なのは状況把握!目標地点に近づいたらまず索敵!周りにどれだけ敵がいるのか、今自分が持っているもの・使えるものは何か、制圧した区域の宝箱は取ったか、等をちゃんと把握しておくことを心がける。特にミッション中は己の反射神経を一切信用しないことがミソ。ゲームの上手い人だったなら多少想定外が起こっても対処できるのかもしれないが、私にそういうことを期待してはいけない。目的だけでなく逃げ道までをちゃんとシュミレートしておく。それでもターゲットを生かして捉える賞金首狩りや、気づかれずに盗め等のミッションは結構苦手なままで、殺せば済むタイプのミッションの方が遥かに楽だなと思った。その中でも苦手だったのが馬車。ふらふらしまくりぶつかりまくりUターン出来なさすぎ。まずバックがL2でできることを知らなかったため序盤はかなり苦戦した。目的地で煙幕を使えば囲まれていてもミッション達成になることを攻略サイトで知れたのは相当ありがたかった。「馬車は嫌だ〜馬車は嫌だ〜……って結局馬車か〜〜〜い!」ってシーンがめちゃくちゃあったので疲れた。それでも何度も何度もやらされるうちにさすがに慣れてきて、ヒーコラ言いながらも何とかクリア。
  そんな風に諸所で悲鳴を上げながらも最後まで楽しくプレイできた理由は、やっぱりロンドンの街中を好き勝手に歩き回り飛び回りできること!ロンドンの街並みも教会も宮殿も庭園も、とにかく見るスポット全てに感動!(PS4自体のスクショ機能をすっかり忘れていたために、クエスト専用マップ内の写真が取れていなくて大変無念……。)ビッグベンの時計の部分にぶら下がれたときは全身に震えが走った。時計の部分が光って月夜に浮かび上がる姿はもう垂涎モノ。それとメインストーリークリア後にバッキンガム宮殿を歩き回れることには痺れたし、セント・ポール大聖堂の屋根についてる3人のジジイの像を間近で見られる機会なんて生涯無いよ。

 

時計にへばりつくミスター・フライ

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宵闇に浮かび上がるビッグベンの光

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華美~な宮殿内部

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セント・ポールの爺

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あとお気に入りはきったねえテムズ川にダイブすること。ロンドンはたしかに綺麗だけど産業革命期だからそこかしこが煙いしきったない。でもそこがリアリティを感じられていい(住む人間にとっては冗談じゃないと思うけど)。ロンドン最高!

 

きったねえ街でも変わらず夕日は美しいね

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 そんな有名スポット群だけでは飽き足らず、その時代を生きた偉人たちの人生に関われることも楽しすぎた。史実とは異なるんだろうけど、教科書等で知るのと実際に時代を「生きている」姿を見られるのは全く臨場感が違う。ナイチンゲールとかベルとかディズレーリとか盛りだくさんだったけど私のお気に入りはジジイ3人衆。ディケンズのジジイもマルクスのジジイもダーウィンのジジイも人使いの荒い奴らばっかりだったけど、面白かったしタフな奴らばっかりだったから許しちゃう。別れの時は「達者で暮らせよ……(涙)」となった。そして満を持して登場したヴィクトリア女王!「肖像画のまんまだ!」って大興奮してしまった。
    それとこのゲームを語るうえで絶対外せないのはもちろんジェイコブとエヴィー。このゲーム時々日本語訳があやふやなことがあって、今何の話してるのか見えないときがあったんだけど、とりあえず姉弟の中が険悪なのはバリバリ伝わってきた。でもブラコン・シスコンばっかりのフィクションとは違って実際の兄弟関係ってけっこうこんな感じだと思うので、私にはこういう方が好ましいかもしれない。

    まずジェイコブが派手好きで細かいこと考えずに戦いたいタイプって時点でアサシン向いてなくない!?って思う。実際ミッションをやるにしてもステルススキルが豊富で投げナイフ大量持ちのエヴィーの方がやりやすいし(ジェイコブのデータベースの人物欄にも「No.2のアサシン(No.1はエヴィー)として名を馳せていた」って書いてあって、「ですよね〜」と思った)。それでもジェイコブの、貧しい人々や子供を守りたいって気持ちは本当だったっぽいので、エヴィーさんの棘のある発言には「そこまでこき下ろさなくても!」と擁護したくなる。というかエヴィーさんだってしっかりしてるかと思いきや、尾行に気付かず鍵取られたり、ヘンリーへの愛を優先して設計図逃したり、催眠術にうっかりかけられたり、最終幕の大事な局面でまたしてもラスボスに鍵を取られたり、けっこうやってますからね。特に催眠術にかけられて警察にパクられ、檻の中で動物のように奇声を発してたなんてアサシン的にクソダサですよ。ジェイコブにバレたら一生ネタにされるレベル。あまりにもエヴィーさんが簡単に催眠にかかりにいくもんだから、最初私「これは演技なのかな!?」と期待しちゃった。でも結果は、はした金盗んでまんまとパクられてた。そんなギッスギスの2人がいつか決別してしまいそうでハラハラしながらプレイしてたんだけど、最後には仲直りしてくれてホンッットによかった!やっぱり2人で助け合ってスターリックとの死闘を制したのが効いたのかなあ?それとジェイコブが自分の悪かったところを認めたのがめちゃめちゃデカいと思う。尻拭いしてもらったって申し訳なさそうにしてたし、何より喧嘩してる間のこと「寂しかった」の一言よ!これが言える勇気!ジェイコブ君偉い!その前にエヴィーが「(エデンの布を纏っていたら)私が不死になってジェイコブだけおじさんになっちゃう」って言ったのも、2人がこれからも運命共同体でいるつもりって感じでグッと来た。エヴィーの方も「父親が全て正しいわけじゃない」って折れたし。2人が最後に「列車まで競争だ」て言いながら走り出していくシーンがめっちゃ心に沁みた。達者でやれよ……。
    それから忘れちゃいけないのがヘンリー。任務中に「僕が引きつけるよ」と申し出られたが私は一切信用しなかった。自分でやった方が早そうだから。そうしたらまさかの拉致られ姫ポジの男だった。流石のエヴィーさんも任務失敗に責任を感じて彼との関係を断ち、「どうなる2人の関係!」とワクワクしてしまったのも事実。その時点でアーカイブを見て、ヘンリーが肉体よりも頭脳派だという情報を得たのだが、まさかまさかのラストバトルで名誉挽回してくるなんて思わなかった。
    あと個人的に心に刺さったのはマクスウェル・ロスだな。散々殺しまくってきたブライターズのボスと協力なんて、利用されてるんじゃないの!?と相当疑ってしまったのだけど、子供の命を巡ってジェイコブと決別したってことは、それまでは本心から協力したかったってことだよね。疑って悪かったよ。  楽しくて刺激的なことのためにギャングやってるんだって話も完全に本当のことしか言ってなかったんだな。あまりに怪しすぎて一周回って怪しくないパターンだったか。特に死に際で、実はジェイコブに惚れてたって事実がわかったのが相当キた。たしかに自由と享楽を愛するジェイコブとは相性良さそう。でもジェイコブの方は、罪なき子供達の命をどうでもいいと思えるほど己の楽しみ一辺倒にはなれない人だから、譲れない一線を守るためには別れるしかなかった。というかジェイコブくんはちょっと目立ちたがりで派手好きで頭よりも体が先に動いちゃうタイプなだけで、他人のことがどうでもいいわけではないからね。好むものが同じなら上手くやれると思ってたのに思い通りにいかなくて、ロスの愛と憎しみの混ざり合った炎が燃え上がっちゃったわけね。愛って簡単に人を見境なくさせちゃうから怖い。でも愛憎で燃える劇場は最高にグッドだった。いいボーイズラブを見せてもらったわ……。
     しみじみと思うけど、ストーリーが良かった〜。最初にラスボスが提示されてて、関係者を暗殺するごとに近づいていくって基本スタイルも心が沸き立ったし、個々の暗殺ミッションも病院だったり銀行だったり劇場だったりバリエーション豊富で、侵入も普通に窓から入ったり変装したり協力者を得て堂々と突入したりで、緊張はするけどそれ以上に次は何が待ってるんだろうってワクワクした(馬車だけはもう勘弁だけど)。本当にやって良かった。オリジンズとかオデッセイとかも視野に入れようと思う。

 しかしこのゲームに慣れてしまうと他のをやったときに「ここ登れたらなあ……」とか考えてしまいそう。

 

追記 :無料DLCでできる事件捜査もミステリーオタクとしてめちゃくちゃ楽しかった!アサシン一切関係ないけど!鷹の目ってこういう使い方もできるんだなぁと感心してしまった。でもこっちはむしろ殺す側なのにどのツラ下げて犯人を警察に突き出してるんだろう……とは思った。むしろ今までの殺人量を考えたらこっちの方が遥かに凶悪犯……。

 

列車の隠れ家とかいう発想超好き

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男爵の装束を着ていったらNo.1アサシンのエヴィー様が「いい服ね」と褒めてくれた

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「外を見る」中にLスティックで四方から列車を見られるという素敵機能に最後の最後で気づいた

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樋野まつり『ヴァンパイア騎士』の話

 ヴァンパイア騎士……私の人生でトップクラスに大好きな漫画……。

 memories6巻を読んだ後また本編を全部読み直した。以前の私は優姫と零の関係に想いを馳せることに忙しかったのだが、最近は「枢はこのときどんな気持ちでいたんだろう」と考えるようになって、その視点で読むと新たに気づくことがいろいろあって楽しかった。

 一番印象的だったのは、「この漫画は絶対に"3人"をやり通す」という気概を感じたことだ。 少女漫画においてダブルヒーローモノは鉄板中の鉄板で、古来からさまざまな物語で展開されてきた。しかし現代の一般的な価値観として、恋愛関係というものは「最終的に特別な"2人"の間だけで完結しなければならない」というように浸透している。ダブルヒーローモノでも、ヒロインは話の途中で2人の間で揺れたあと必ずどちらかを選ばなければならない展開になるのが定石だ。しかし『ヴァンパイア騎士』はそうではない。本気で「どちらも大切」をやり切るつもりだと私は確信している。枢が封印され、話もできない状態になっても決して彼を"過去の人"にはしない。それは彼が死なない純血のヴァンパイアだから、という理由だけではないと思う。仮に枢が本当に死んでいたとしても、優姫の中の彼への思いが吹っ切れるなんてことはきっとありえない。正直を言うとmemories6巻の「君に悪役は似合わないよ」のシーンを見たとき、「か、勝てない……」と思ってしまった。零が優姫の心臓を鷲掴みにするという大胆な行動に出た直後にコレ。突如現れる枢の鮮明すぎるイメージ、もはや生き霊。絶対に離れないし離さないという気概が溢れ出て、圧倒的な存在感を放っていた。

 またそれに関連して、memories2巻に私の大好きなシーンがある。仲睦まじい英くんと頼ちゃんを見て零と優姫が「試しに繋いでみるか」と手を繋いでみるシーン。優姫の「こうするとあの人(枢)のこと思い出す……」という言葉に零も「俺もだ……」と返すところ。2人でいるはずなのに違う人のことを考えている。これはどこからどう見ても世間一般でいうラブラブな恋人とは程遠い状況ではある。幸せいっぱいどころか寂寥感さえ漂っている有様。しかし彼ら(もちろん枢を含め)にとってこれは決して間違った関係でも歪んだ関係でもないと私は思う。枢が優姫と零の間に割り込んでいるとか零が枢を失った優姫の心の隙間に取り入ってるとかでもなく、優姫が2人の気持ちを弄んでいるとかでもなく、"3人"はこれで完成しているのだ。優姫が零と向き合うことは枢を捨てるということには決してならない。枢を愛する優姫ごと愛すると言い切る零の愛の深さ・大きさも相当なものだが、そんな2人に「よかったね……」と微笑むことができる枢の愛に私は激しく心を打たれ、読むたびに泣いてしまう。

 枢は優姫を世界の何よりも大切に思っていて、理性の声が無ければ永遠に閉じ込めて自分だけのものにしたいほど深く強く求めているような描写が本編にもこれでもかと出てくる。そんな枢が最後に零と優姫に託した「2人には一緒にいてほしいんだ」という言葉。彼にとって憎むべき恋敵である零に世界で一番大切な優姫を任せるという決断。優姫に対して本当に深くて大きな愛情をもっていなければそんなことはできない。

 3人の関係において、2人の男がそれぞれ優姫に矢印を向けているだけで男たちの間には何もない(どころか学園編では互いに殺したいほど嫌い合っていたりした)ように見えるのだが、実際は零が枢の血を飲んだ頃以降の2人の間には絆と言えるようなものが存在しているところがミソだと私は思っている。「同じ人間を愛する者へのある種の共感」と表現するべきか。2人にとって、自身と同じくらい物理的に強く、同じくらい強い想いで優姫を大切にしてくれると確信できる相手などお互いしかいないのだ。だからこそ優姫の心の中に住んでいるのが自分だけではないことに苛立ちながらも、その事実ごと受け入れられるほどの度量がもてるのだと思う。

 樋野先生が「昔の3人絵と今の3人絵はテーマが変わってる」とおっしゃっていたが、昔は優姫が真ん中で零枢が左右だったのが、今は枢が真ん中にいる絵が多くなっている。それは優姫と枢の間の絆だけでなく、零と枢の間にもたしかに想いが存在するということを表してるのではないかと思う。優姫が愛ゆえに枢を丸ごと信じることができるのと同時に、零は枢と同類だからこそ優姫には見えない枢の部分が鏡を見るように理解できるのかもしれない。そんな3人を見ていると、大切な人は絶対に1人でなければいけないし、その中身は絶対に恋愛感情でなければいけないという感覚も、実は思い込みに過ぎないのかもしれないという気がしてくる。もちろん恋愛も構成要素の一つであるのは間違いないのだが、その一つだけで終われるようなものでもない。友達とか恋人とか名付けるのも結局は簡易的なラベリングに過ぎなくて、人と人との関係とはすべてが本当はもっと複雑でそれぞれ唯一のものなのではないか。ただ大切だという事実さえわかっていれば本当はそれで十分なのかもしれない。

 3人の関係を語るうえで欠かせないのはやはり「想いのすれ違い」だろう。"3人"として完成している今の彼らももちろん良いけれど、本編完結までの切ないすれ違いぶりがどうしようもなく良かった。枢から優姫への想い、零から優姫への想い、優姫から2人それぞれへの想いはどれもたしかに愛であるはずなのにずっと何かが噛み合わなかった。特に学園を出てから最終回少し前までの優姫と零の「建前がないと会うこともできない」というやるせなさ。心の中ではどうしようもなく求めているくせに「お前のことはもう何とも思っていない」と言い張る意地っ張りぶり。零がそんな風に言う理由にはヴァンパイアという存在を許せない気持ちももちろんあるが、何よりも枢の側が優姫にとって1番のあるべき場所だと信じているから出た台詞であると私は思った。ヴァンパイアは誰が誰を想っているのか飢えでバレバレだから一層切ない。たとえ周りには隠せても自分には一番隠せないという切なさ。

 ところで零と枢の愛も大概だが、優姫も澄ました顔して愛が激重なところが実に良いと思う。最終回付近の枢暴走の頃、枢が何度も「こう言えば優姫も僕に対する盲信から目覚めるだろう」と考えて自身を幻滅させるように仕向けてくるけれど、既に「最後に信じるのは枢」と覚悟完了して「何をされてもいい。裏切られてもいい」と言い切ってしまっている優姫。そんな程度で優姫の愛は揺らいだりしないということを全然わかっていない枢がニクい。枢様は1人で何でもできてしまうわりに自己評価は低いからこういう感じになってしまったんだろうな。私は優姫が「枢様になら何をされても構わない」とか「あの人に呑まれて一つになりたい」とか言う時の眼差しがめちゃくちゃ好きだ。枢様のことを本気で愛していることが痛いほどわかる。

 枢は枢で優姫は零の側にいた方が幸せだと思っているから、恋い焦がれてやっと手に入れたはずの優姫を手放そうという方向に急に思い切ってしまう。「僕の愛し方じゃ優姫は心から笑わないんだ」という台詞にそんなことないよ!と言いたいのに思い当たる節がありすぎる……。優姫は「枢と一緒に堕ちていきたい」と言っているのに枢はそれではダメだというところが2人の噛み合わなさ。枢の中にも未来永劫闇の中で2人寄り添って生きることに惹かれる自分がいるから、背負わせたくないと思いながらも優姫に自分の全部を明かして受け入れてもらいたいという気持ちもある。愛ゆえの矛盾とままならなさ。枢様のこういうところが私は本当に好きだ。

 零への恋に早々に決着をつけた愛さんの決断がどれほど潔く賢いものだったかよくわかる。拗らせたまま年月を重ねてしまった結果がコレよ!

 覚悟完了といえばmemoriesの零は、本編の眉間のしわが嘘みたいに穏やかな瞳をして優姫を見ることが多くなって、紡ぐ言葉も読んでるこっちが恥ずかしくなるほど素直になってしまっていて衝撃を受けた。「どんなことがあってももう二度と俺から別れを告げることはない」と決めたから迷いが消えたのか。本来は穏やかな場所を好む優しい人だということはわかっていたけれど、本編で辛いことばかりだった彼がこんな風に笑える日が来たという事実だけで涙が出る。本編での、痛みを堪えるような切なげな瞳も大大好きだけどやっぱり彼が幸せなら私は十分だ。『ヴァンパイア騎士』はでっかい愛の漫画……。何度読んでも大好きすぎて泣ける……。

 


・余談

①李土様と玖蘭家

  個人的に私がすごく好きなのが李土様。性格極悪だけどだからこそ好きというか、捻じ曲がったまま生きて死ぬ人間が好き。最後に見せた優しさのようなものだけ見て「実はいい人だった」とか死んでも言いたくない。たしかに始まりは綺麗だったかもとか奥底では純粋な思いだったかもとか想像することはできるが、何千年生きても理性を保とうとする純血種もいるわけだから、邪悪はどれだけ好意的に見ても邪悪だ。樹里や優姫を手に入れたからといってまともな愛し方をしてくれるわけがないし。

 あとあんなにワイルドなのに一人称が僕なところがすごく好き。

 ぶっちゃけ愛情の重さとねちっこさと巨大さでいえば枢とか悠も良い勝負だと思う。玖蘭家の男は明確に描かれていないだけで相当エグいことまで考えたことはありそうなくらい独占欲が尋常でなく強い人ばかりで、恋い焦がれてるときにみんな同じ目をするから怖い。一番怖いのは悠。傘を隠して「相合傘がしたかった」などという供述には本物の狂気を感じた。李土様が樹里樹里言ってるときの雰囲気、枢様も本気出したら絶対あんな感じになると思えてゾクゾクする。でも枢様の偉いところは、獰猛な欲望を飼いならして理性的でいようと常に心がけてるところ。そういうところが王の器で、血の強制力がなくてもみんなが枢様の支えになりたいと思う要因なのだと思う。

 

②絵の上手さ

 私が『ヴァンパイア騎士』で一番好きな要素はなんだかんだ言って絵かもしれない。髪とコート類のなびきに命賭けてるところがめちゃくちゃ魂に響く。あとまつげがみんなバサバサなところ。

 

③疑問点

    生まれてから死ぬまで3000年と少しの樹里の記憶が薄れるほど昔に、日本っぽいところで女子高校生やってたってことは今は何年なの?地下高速鉄道とか言ってるから超未来なの?その割には数千年後もクラシカルな学校と家と服だし携帯電話とか機械類も無さそうだしバイクが珍しいとかどういうこと?文明レベルはどうなってるの?そして黒主学園はどこの国なの?それ以前に他の国ってあるの?

 炉の火が落とされるときとはつまりすべてのヴァンパイアが死ぬか人間になるかしたってことなんだと思うけど、愛はこの先たった1人の純血種として途方も無い時を生きる羽目になるのではないのか?恋がいるとしても完全に純血でない者と純血の者とでは能力や寿命に大きな差があるのは明らかなはず。結局最後の玖蘭は枢と同じように枯れ果てるまで生きることになるのは変わらないのか?愛のそういう覚悟はmemoriesで今後描かれるのかどうかが気になる。

  樋野先生は個人的な感情を描写するのはめちゃくちゃ上手だけど、戦闘シーンがはっきり描かれないのは苦手だからなのか必要ないからあえて端折ってるのかどっちだろう。どちらにせよ政治とかのマクロな物事描写はわりとふわっとしてる気がする。テロ行為とか示唆されても戦闘の描写が少ないから肩透かしに思うことがある。私は大きなことより個人的なことにフォーカスしてくれたほうが好みだからいいのだけど。

 

追記:また改めて最初から読み直して、枢に対する理解が少し変わった。枢には「誰かのために尽くさなければ生きられない」という根本的な性質があって、しかしどれだけ尽くしても喪失しかもたらさない世界に絶望していた。そんな中で優姫の存在は「心から守り抜きたいと思える暖かな存在」という意味で、光そのものだった。だからこそ優姫の方がいくら「枢と共に堕ちたい」と言ってくれても、枢自身が「優姫を自分だけのものとして囲いたい」と狂おしいほど思っていたとしても、そのせいで優姫の暖かさが失われてしまうことだけは許せなかった。

 それと親金になるのが枢の当初からの目的だったとずっと思ってたんだけど違ったみたい。そうではなくて、優姫が樹里の封印でずっと目覚めの兆しを見せなければそのままにするつもりで、でも10年でその封印が切れてしまったから仕方なくそばに戻すことにして、安全のために李土と元老院を潰した。そして当初の予定では、優姫の安全が確保されたら自分の命を使ってもう一度人間にするつもりだった。でも優姫が「枢と生きてたい」と言ってくれたことでその決意が揺らいで一年も理想の暮らしを享受してしまい、そのうえ明かすつもりのなかった自分の正体まで明かしてしまった。そうこうしているうちに更が純血種の頂点に立つために他の純血種を殺し始めてしまい、彼女らに自制心を期待しても無駄だと悟り皆殺しを決意した。純血種は純血種を食らって力を得たがる生き物だから、自分が儀式で死んだ後の優姫を守るために、もともとやるつもりだったかはわからない。その方針が変わったのは、途中で優姫と零の妨害にあったのもあるが、一番はハンターの親金が消失してしまったことで、それは予定にはなかった。でも武器として残れば長期的には、道を外れたバンパイアを抹殺することにはなるし、純血種皆殺しよりは穏便な方法ということで親金になった。

クレア・ノース『ハリー・オーガスト、15回目の人生 』感想

 実はこれを読むのは2回目なのだけど、1回目は世界設定やら人物名やら時系列やらを追うのに必死だったうえにラスト付近の怒涛の展開に打ちのめされて放心するばかりだったので、今回すべての前提を理解したうえでもう1度読んだことでようやくしっかりとこの物語について理解できたような気がする。
 「もし死んだときが人生の終わりではなく、完全な記憶を保ったまま同じ人生をやり直すことができたらどうするか?」という命題は、様々な人々が思い描いたことのある夢かと思われるけど、この話ではそんな特殊能力を有する者(作中用語ではカーラチャクラ、またはウロボラン)が少なくとも紀元前3000年前後から組織立って存在していたという点が面白い。「死んだときの知識をそっくりそのままもった状態で生まれた年に帰ることができる」という特性を生かして、そのとき最も若い者が最も年老いたものに伝言を伝えることで、「未来から過去へ」メッセージを届けることができるという発想には唸らされた。
 ただ少し理解できなかったのは、何をもって「世界が終わった」と認定しているのかという点。それを決めているのが神でも大いなる意思でも何でもいいのだが、「早すぎた技術革新が引き起こした核戦争による環境汚染が世界の終焉を速めた」というところまではわかるとして、「すべて」が終わったとされて巻き戻る瞬間とはいつになるのか?何にせよ観測者がいなくなれば世界がその後どうなったかは知りようがないので、人間の認識が及ぶ範囲としては当然「最後の人間が死に絶えた瞬間」か「最後のカーラチャクラが死に絶えた瞬間」になるのではないかと一応私は仮定した。しかしこの話にとって最も重要なのは「世界が終わる」という事実とそれを「どうやって阻止するか」ということなので、そういった細かいことに頭を悩ませるよりもどんどん読み進めた方が利口だったなと今となっては思う。
 そんなややこしい設定を理解する大変さに加えて、主人公ハリー・オーガストによって語られる時系列が頻繁に飛んだり戻ったり唐突な回想が挟まれたりするために「いったい今は何回目の人生なんだ?」とページを戻って確認する大変さもあったので、1度目は読むのにものすごく時間がかかった。それでも投げ出さずに楽しく読み続けられたのは、やはり生まれ変わるたびにハリーの人生が大きく様変わりし、「次はどんな波乱に巻き込まれたり自らそこに飛び込んだりするんだろう!」とわくわくさせてくれる展開が常に待っていたからだと思う。ハリーは土地の管理人、大学教授、研究者、兵士、医師、僧侶、巨大犯罪組織のボスなどの実に多岐にわたる職業に就くが、彼がカーラチャクラの中でも更に特異なネモニック(一度覚えた知識を絶対に忘れない者)であるという点を考慮してもなお、その適応力の高さや忍耐力、ここぞというときの閃きには驚かされた。いくら何百年も生きているといっても、どんな国でもどんな職業でもそれなりにハッタリが効くというのはとてつもない才能な気がする。死を恐れないカーラチャクラが最も恐れるのが「精神の死」であることから、どれほどの歳月を生きようともその重みに耐えられる強靭な精神がなければ意味はないんだろうなと思った。

 ここからはこの物語最大の面白さと私が認識している、ヴィンセント・ランキスとハリーの関係について述べる。
 私がこの本を読み終えて強く感じたのは、「愛と憎しみと殺意は全く矛盾せずに同時に存在することができるのだな」ということ。ヴィンセントとハリーの関係はとても一言で表せるようなものではない。お互いがお互いの1番大切な存在になれたらよかったと心から願っているのに、それが決して果たされないこともまた心から理解している。2人はとてもよく似ていて、相手を愛している気持ちを失わないまま、目的のためにその相手を殺すことができる人たちだ。己の行為に心が引き裂かれそうになりながらでも、どんなに涙を流しながらでも彼らにはそれができる。そういう点ではやはり2人は世界で1番の「同類」だったと思う。
 2人の関係について語るために避けて通れないのが「量子ミラー」なのだが、「量子ミラー」がいったいどんなものなのかは正直に言って私にはよくわからなかった。宇宙が量子によって作られているのだから、逆に量子から宇宙の「すべて」を知ることができる、という理論のところまではおぼろげにわかったのだがそれ以上は無理だった。仮に事細かに説明されても絶対理解できないだろう。
 とにかくヴィンセントは宇宙のすべてを知る者、つまり神になりたかった。ハリーもその崇高な目的に一度は強烈に惹かれたことは事実。ヴィンセントとハリーを分かつものは、「自分が神の目を手に入れるためには他のどんな犠牲を払っても構わない」と思っていたかどうか、この一点のみだった。カーラチャクラは人生を何度もやり直せるとはいえ、「やり直し」ゆえに自分の生きた時代より過去や未来へは行けないので、たとえ地球環境を犠牲にしてでも技術を限界まで早送りしないと「ヴィンセント自身」が量子ミラーに辿り着くことはできないようだ。ハリーはそのために犠牲になる無数の人たちの人生のためにそれを阻止したわけだが、「永遠に同じことを繰り返すだけの世界で"生きる"などということが、"神"の前でいったいどれほどの意味があるというのか?」というヴィンセントの問いには私ですら少し「た、確かに……」と思わされてしまった。普通の人(作中用語ではリニア)である私ですら揺らぐのだから、繰り返す世界の虚しさを知るハリーならより実感をもって量子ミラーの魅力を理解できたのではないか。それでもハリーは「人としての営み」を捨てるべきではない、と決めてヴィンセントに勝利した。逆にヴィンセントは、天才であるがゆえに「ただの人としての営み」を続けることに我慢ができなかったのではないかと思う。
 結局のところ、お互いの正体をまったく知らないままでひたすら宇宙について白熱した議論を交わせていた頃の幸せな日々を2人は忘れることができなかったのだろう。自分と同レベルの頭脳をもち、性格的にもウマが合う人間とする討論は、お互いにとって至上の喜びだったに違いない。決定的な決別をするまで、その関係は非常にうまく行っていたのだが前述の通り、ハリーは神よりも人であることを選んだ。しかしヴィンセントは、ハリーが心の奥底に本心を隠して上辺だけの誓いをした瞬間に全て悟っていたというのがまたニクい。ハリーが嘘をついたことも、直後に取るであろう行動もすべてヴィンセントにはわかっていた。それほどまでに2人をつなぐ絆は、良い意味でも悪い意味でも取り返しのつかないほど深く結ばれていたということだろう。
 ハリーを拷問する際にヴィンセントはギリギリまでその手段を行使することをためらい、最後まで決して自ら手を下そうとはしなかったが、私はそこにこそヴィンセントの本質があると思っている。ためらうだけの友情、もしくは愛情をもつことができると同時に、必要ならば拷問をする決断ができる合理性も持ち合わせている。そして彼の中で最後に優先されるのは常に合理性の方であった。友達が可哀想だからと止めることだけは絶対にしないのがヴィンセントの在り方。そしてその事実は決して愛情の不在とイコールではない、ということが重要だと私は思う。拷問を決めても自ら実行することは気が引けた、というのがその証拠だ。
 この物語においてヴィンセントは最終的に敗北するが、彼にとって唯一の弱点と言っていいものがこの「ハリーへの情」だと思う。もっと言うならば「自分にとって最高の友人であってほしいハリー」への情というべきか?ハリーの記憶を消去した(と思っている)ヴィンセントは、自分からハリーに会えるように仕組み、彼をいついかなるときもそばに置くようになるのだが、初期に関しては記憶が本当に消えているかどうか確かめるためで間違いない。しかしハリーの記憶が完全に消えていると確信できたなら、万が一に備えて監視は付けておくにしろ常に自分のそばに置いておく必要はないと私は思う。研究にはもはや何の役にも立たないとハリー自身も証言しているのだから。ハリーはその理由を色々と推測していて、それらすべてが揺らめきながら渦巻いていると称していたけれど、私は量子ミラーの前でヴィンセントが言った「そばにいてくれ」がすべてだと思う。友が欲しかった。理解者が欲しかった。だから負けた。 
 ではハリーが勝ったのは友情を捨てたからか?と言いたくなるのだが、実はそうではない。何度も書いているが、彼ら2人にとって愛と殺意は同時に矛盾なく存在するものなのだ。問題は配分の違いだけ。ヴィンセントはそれまで常に最終的には合理性を選択する男だったが、ハリーの狂おしいほどの献身を受けてついに愛(もっといえば誰かにわかってほしいという想い)が合理性を上回った。ハリーもまたヴィンセントを愛していたことは間違いなかったが、それでも「するべき」ことを選んだ。それが勝敗を決めたすべてだろう。

有栖川有栖『乱鴉の島』感想(ほぼ文句しか言ってない)

 おい海老原以下信者の面々!ふざけやがって!クローン人間の人権は!?クローンクローン言いますけどね、それって遺伝情報が元と同じなだけで生まれてくるのは1人の人間なわけですよ。記憶を受け継ぐわけでもないし思い通りに操れる物言わぬ人形でもない、考えて感じることのできる人格をもった人間なんだけど!?それを何だお前らは分身だの生まれ変わりだの、1人の人生を生み出すことを何だと思ってやがる。生まれさせられてみたら勝手に見ず知らずの人の人生を投影されてる人間の気持ちを考えろよ。

 そのあまりにも身勝手で自己陶酔極まった傲慢な考えに腹が立って腹が立って、その後事件解決の余韻にまったく浸れなかった。同じ世代に生まれることでしか共有できないものがあることの寂しさとか、永遠から外れたものにしか愛は抱けないとか、命は一瞬だからいいとかの理屈はわかるけど誰かの人生を操作して利用することにあまりに無責任すぎるもんだから共感できない。何が「素晴らしい計画」だよ 。生まれさせる側の感傷なんて子供にはまったく関係ないっての。そのうえ拓海くんと鮎ちゃんを実験台としてくっつけようと画策してたとか……恐ろしい……他人はあんたらのおままごとのための道具じゃないわ……。その点は有栖が「DNAが同じでも生まれてきた2人は別の人格だから愛し合う保証はない」ってツッコんでくれてたからまだいいものの、その計画を有栖ですら「祈り」とか「愛の奇跡への興味」とか美しいもののように語ってたのはいただけなかった。私にはそんな綺麗なものじゃなくてグロテスクで薄ら寒いものにしか見えなかった。そもそも子供を親の分身と捉えたり親が叶えられなかったことを子供に押し付けようとするのが嫌いだ。他人を自分の代わりにするな。
 絶海の孤島のシチュエーションは大好きだし火アリが珍しく安全圏じゃなく容疑者枠として居心地の悪い思いをしてたことも新鮮で面白かったが、これほど登場人物に腹が立つ本はそうそうない。
 有栖川有栖の描く長編の犯人の動機は(今回は直接的な動機ではないが)、初め純粋だったものが陶酔の果てにぐずぐずに歪んでることが多いので「ええ〜〜……?」となることが多くて辟易してしまう。
 あとあれだけ何度もクローン説をばっさり否定されてなお引っ張られるから別のあっと驚く真相が残されてるのかと思いきや、結局クローンじゃねーか!

摩耶雄嵩『メルカトルと美袋のための殺人』感想

 この本を読みながらもう何度思ったかわからないが、美袋くんなんでコイツと友達やってんの!?メルカトル鮎、この男……鬼畜外道・冷酷無比の擬人化か……?これほど「倫理」の2文字が似合わない人は早々いない。いっそ自分で人を殺しちゃうような人の方がまだ人間味があるくらい。自分では絶っっっ対に手を下さないけど、とにかく人を手のひらで転がすのが大大好きで、真相なんて「自分が」好奇心を満たせれば後は野となれ山となれ、必要とあらば証拠のでっち上げや犯行の誘導、自らの友人の誘拐まで行う……。恐ろしい男だよホントに。
 これで少しぐらい他に隙があれば可愛げもあろうものだけど本当に「無い」のだから困る。とにかく頭がキレるのは本当なので誰も勝てない。というか自分が負けないためにはどんな奇策でも屁理屈でも打ち出してくるので勝つ方法が「存在しない」。現実にいたら怖すぎるけどそれゆえにキャラとして輝きすぎていて、「だってメルカトルだし……」ですべてを水に流させてしまう圧倒的存在感が彼にはある。

 

ここからは気に入ったものを個別に

「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」
 これが一番好きかな。
 美袋くんが急にポッと出の女の人といい仲になって「おやおや」とか思っていたらまさかの「好きになった原因」が存在して、そこから事件を紐解くという斬新さ!しかもワトソン役として読者にヒントを提供する視点である美袋くんの証言部分がなんと「夢」!「予知夢なんてそんな馬鹿な!?」と言いたくなるが、そこもちゃんと論理的(に思える)説明を用意してくるのがいい。たしかに微睡んだ状態で聞こえてきたことをはっきり覚えていることもあるし、周囲の状況が夢に影響することもままあることだから。
 極めつけは美袋くんの「愛」がただの同情、延いては「愛する人のために奮闘する自分」というヒロイズムにすぎなかったという残酷な指摘!そして「嘘だ嘘だ」と喚きながらも本心ではそれが真実だと理解している美袋くん!最高……。
 たしかに美袋くんって表面上では倫理面を気にするそぶりを見せるんだけど、いざ自分の身が危うくなったり実利が絡んでくると簡単に「まあそんなものだよな」と割り切ってしまうところがあって、本当は誰のことだって愛してないし究極的には人が死のうが生きようがどうでもいいと思ってるんだよね。なんで彼がメルカトルと仲良く(?)できるのかって疑問の答えは結局そこなんだよ。人を心の奥底でどう見ているかという部分が二人は似ている。メルの言うように彼らは二人とも「愛情や人道、正義感など信じるに値しない」と思っている、これに尽きる。メルカトルは美袋くんの本質を見抜いているし、美袋くんはメルカトルが自分を見る目が間違っていないと確信している。そこにはたしかに「絆(この2人には世界一似合わない言葉だが)」があるんだなあ。そうじゃなきゃ10年友達(と呼んでいいのかわからない何か)なんかやってられない。

追記:改めて読み返してわかったのだけど、結局は美袋くん個人の感情の話なのだからメルが何と言おうと彼自身が心の底から「あれは愛だった」と信じられるならそれが事実となったはずだ。しかしメルが放った「それはただの同情だ」という言葉が美袋くんを縛りつけ、もしかしたら他の要素も含んでいたかもしれないのに「同情」というたった一つの事実として確定させてしまった。なぜなら美袋くんにとって探偵としてのメルカトル鮎の言葉は絶対的なものだから。「メルカトルの言うことに間違いはない」と一番信じているのが彼だから。その言葉を聞いてしまった時点でもう聞かなかった頃には戻れない。

「小人閑居為不善」
 今度は犯行の唆しですか……さすがすぎる……。直接「〇〇をやれ」と指示したわけじゃなく迷っている人をほんの少し後押ししただけなので法的には絶対に罪に問われないところが……最悪の野郎だ……。犯人が被害者になりすましてアリバイ工作なんてのはよく使われる手だけどまさかこういう展開になるとは。というかこの話のヤバいところはそこじゃなくて、自分の退屈を紛らわせるために殺人を誘発するというメルの外道ぶりと、この後本当にメルが警察に通報したかどうかがわからないところなんだよ。メルならもう自分の興味を引くことはないから通報しないとかいう展開が普通に考えられる。最悪だなコイツ……。

「水難」
 ガチの幽霊を容認するところにびっくりした。推理小説って基本的にそういうのはトリックにするじゃない?井戸に浮かぶ骸骨とか土蔵の扉にデカデカと書かれた「死」の文字とかシチュエ―ションがいかにも過ぎて歓喜してしまった。
 事件の内容はそこまで突拍子がないものではなく、昔うっかり殺してしまったクラスメイトの死体を隠した子らが数年後に復讐っぽく殺されるなんてベタ中のベタなんだけど、普通なら幽霊の名を借りたリアル犯人にするところを、あえて幽霊は残しつつ犯人の自業自得で終わらせるというところがよかった。
 しかしなんといっても1番の見所は美袋くんが本気でメルを殺したいという衝動に抗えなかったところだよ!あそこは読んでて興奮してどうにかなりそうだったね。メルが憎まれる理由を完全に理解できるがゆえに「行けーーっ!やっちまえーーっ!」と確かに思った。ホームズに本気で殺意を抱くワトソン役……新しいな……。しかもメルがその殺意を見抜いていてその場では指摘せず、あとで交渉の材料、むしろダメ押しの一部として平然と使ってきたというところ!たぶん本当に殺されたとしてもメルは「ついにこの時が来たか」としか思わないんじゃないか?まあ実際はそんなことする前に一作目で死んでるんだけどな!アッハッハ! 

 でも美袋くん……「物書きとはこういうものだ」とか言ってるけど何一般化して自分の薄情さから逃れようとしてんの?そりゃ信念の無い物書きだって探せばたくさんいるだろうけども!有栖川先生(キャラの方)の圧倒的品行方正さ・善良さを見て!?

「彷徨える美袋」
 美袋くんまーた犯人の嫌疑をかけられているよ……。まあ探偵物にはよくあることだけど、事件にたまたま遭遇する部外者なんて普通に考えたら怪しまれるよね。
 しかし美袋くんは「困ったときにはメルカトル」が板につきすぎだろ。彼はメルカトルのことを人格は最悪だけど実力だけは本物だと理解しているから、メルが本気で言っていることなら間違うはずがないというある種絶対の信頼を抱いているよね。信頼とか美しい言葉がカケラも似合わない関係だけど……。
 問題はメルの人格、本当にこれはどうしようもない……まさか自ら友達を誘拐するなんて……。いつもはなんやかんや窮地を救ってくれるのでつい水に流しそうになっちゃうんだけど今回はだいぶ一線越えたね!?「いざとなったら救いの手を差し伸べてあげるさ」とは言ってたけど、具体的にどうするかはわからないし万が一に間に合わない可能性とかを考えると美袋君が殺される可能性はゼロじゃない。その万が一で友達が殺されても「あーあ」で済まされそうで怖い!!でもそうなると流石のメルも「負けた」判定になりそうだから必死で阻止するのかな?そうは言っても実際一作目でメルは死んでるわけだから絶対に安全とも言い切れない。それにいざとなったら助けるつもりでいたということは美袋くんが行き倒れ寸前になっていた時も近くにいてその様を監視してたってこと……?こっわ……。想像したら誇張抜きで背筋が寒くなった……。そうでなかったら美袋くんが道に迷ったりしてペンションに辿り着けずに死ぬ可能性を許容していたことになるし……。美袋くんやっぱ友達は選べよ!コイツはやめた方がいいって!やめないんだろうけど!

追記:『メルカトル悪人狩り』で「メルの行動=神の思惑」と言っても過言ではないような書き方をされていたのを知った後だと、たしかにメルは美袋くんが死ぬことを許容していたわけではないということがわかる。メルにおいては計算違いという現象は絶対に発生しないからだ。だからメルが「美袋くんは死にかけるかもしれないが決して死にはしない」と想定したのならばその通りのことが起こる。ただ、自分の利になること(名声や報酬など)が無いとわかれば死人が何人出ようがおかまいなしのメルが「美紀弥は死んでもいいけど美袋くんが死ぬ展開は求めていない」と考えたという事実はなかなか趣深い。少なくともメルにとって美袋くんは大抵の人間よりも生きていてもらう意味がある存在ということだから(そうさせているのが友情などとは決して呼べない何かであっても)。


まとめ
 どの話も冷たくて捻くれてて「普通ならこうするだろう」を微妙にずらしてくる展開。私はこうやって「騙された!」という瞬間を味わうためにミステリーを読んでいるので、この清々しいくらいの倫理感ゼロっぷりが大好きだよ。怖いし後味悪いのに惹かれてしまう……。
 でもここまで完璧で絶対に負けないメルを描写されると一作目でおとなしく殺されてたのが本当に不可解。もしや自分が殺されるところまで計画通りだったのか……?

摩耶雄嵩『鴉』感想

 すっっっごく面白かった。
 まず主人公の名前がカイン!弟の名がアベル!もうそんなの絶対弟殺してるじゃん!あまりに露骨なのでそう思わせたいだけで後々裏切ってくるのかと思ったら、事実としてはその通りだったのが意外だった。でもストレートなのはそこだけで、捻り方が二重にも三重にもなっていてただの弟殺しでは終わらず、実際に殺したのはまさかの15年前。さらにまさかの二重人格。まあこれ自体は一人二役なんてよくある題材だけども、散々「弟が羨ましい」「弟に成り代わりたい」などの独白を挟んでいたからそれが明かされたとき「このためだったのかー!」という感動があった。冷静になったら「この二重人格設定いるか?」と思ったんだけど、これが無いと村から帰ってきた弟を殺した犯人が宙ぶらりんになってしまうからかな。普通にカインが殺したばかりで、村から帰ったら捕まる展開でも成り立ちそうだけど、巻末解説の「同一の存在への暴力と異端の存在への暴力を描いている」が真だとすると、最後に「カインが弟に成る=同一のものに還る」という部分が重要だったのかも。最後も弟と同じように川に流れて行ったし……。というか弟がカインの中の人格ならいつ殺すかもカインのさじ加減だから、弟に関して作中で書かれた何もかもがカインの脳内ストーリーを綺麗に終わらせるためのものでしかなかったってことで……。いろんな意味ですごいなこの主人公……。でも殺したのが15年前ってことは高校のエピソードとか何だったの!?成績が人格によって乱高下してたってこと!?
 何より最高なのはカイン=櫻花の叙述トリックで、「弟側」として登場する橘花と名前を似せることであたかも櫻花と橘花が兄弟であるかのように誤認させる手法。見た目も名前も「書かれなければわからない」という小説ならではの騙し方。私はこういうのが見たくて推理小説を読んでいるといっても過言ではない。弟を妬む兄という構図は世界中どこにでもある構図なだけに、ただの共通点かと思い込みやすい。私はあまりに櫻花が「弟」としか呼ばないものだからこれはミスリードなんじゃないかとなんとなく察せてたけど、まさかこの子がカインだとまでは察せなかった。
 続いて最高だったポイントはまさかの村人ほぼ全員が色覚異常という大胆なトリック!これはしつこいほどヒントが多かったのもあって私も気付けていた。村人の服や壁や床の奇抜な色だとか鬼子の作った梅模様の着物とか大鏡様の紋様とかね。何より紋様に「火」があるのにそれが赤じゃないってそんなことあるかなと思って……。冒頭にカインのウィンドブレーカーが緋色ってあって「意外と奇抜な趣味ね……」と感じたのがここで繋がるか!って感じで、紅葉が示した道の記述を見たときに確信に変わって雷に撃たれたような感覚だった。村人ほぼ全員が先天的異常、なんてありえるのか?と思ったけど何百年も外界から隔絶された秘境なら全員が近い血族ってのもありえるかなと。
 3つ目の最高ポイントはやっぱり大鏡様。何をやっても大鏡様の言うことだから全部正しいとされてどんな論理的な反論も「神だから」で封じ込められる理不尽。しかし現人神などと崇められていても実際に人々が信じているのは神本体ではなく、神という役割そのものである。バラバラな人々をまとめ、共同体として成立させるための掟としての神。人を支配しているように見えて実質支配されているのは神の方という皮肉がたまらない。さらに皮肉なのは村人たちにはその自覚すらないということ。神の力など無いと認めてしまえば自分が今まで生きてきた世界が崩れてしまうということを深層で察しているがために、仮に不信を抱くような出来事が現れても脳がそれを拒んでしまうことがある。そして土地争いという現実的な問題でも己の欲望を理由とした行動だとすると角が立ってしまうが、神が認めたというお墨付きさえあれば一家惨殺ですら罪ではなくなることの恐ろしさ。そういったシステムを維持するためには神の人格などというものがあってはむしろ邪魔なのだ。大神様は神ならば絶対的な力で世界を意のままにできるはずなのに、本当は何も自由にできないただの政治の道具でしかなかった。祭り上げられる神も、無残に排除される鬼子も元を辿ればシステムの都合で生かされるか殺されるかの違いでしかないということ。人間がたくさん集まるとどうしてもこうなってしまうのか……と軽い絶望を覚える。でもフィクションにこういうものが出てくると死ぬほどテンションが上がってしまうというジレンマ……!
 それにしてもメルカトルの野郎、めずらしく早いうちから真面目に探偵やるのかと思ったら、いつものようにもったいぶったことを言うだけ言って龍樹家の恨みを晴らして勝ち逃げしやがった!ここで龍樹の名前が出てくるか!ってのもこの本の好きなポイントだけども、母方の複雑さも併せてメルカトルくんは本当に数奇な生まれだね…….。しかし彼の父の一族が受けた仕打ちについて語る時に怒りが滲んでいたという記述が私には結構意外だった。メルにとって家族に対する感情とはどのようなものなのだろう。鬼子騒動が起こったのが42年前ということはメルはまだ生まれていないはず(30代とどこかで書いてあった気がする。少なくとも42歳以上には見えない)で、自身の名誉や財産が害された時に憤るのはいつものメルだが、自身が生まれる前の父親の復讐まで守備範囲だとするとあんなのでも家族にはそれなりの愛情というか同胞意識のようなものがあるのだろうか。『翼ある闇』で椎月が死んだと聞かされた時の動揺を額面通り信じるとするならそういうことになるけど……。でもメルだしな……。他人には冷淡でも身内には逆に強い情を抱いている人もいるのでそのパターンでないとは言い切れないけど……。でもメルだしな……。

 カインに真実を突き付ける時のああいう突き放した言い方はいつものメルらしくて安心する。無慈悲といえば無慈悲だけど自己陶酔激しいカインくんが言葉の刃で一刀両断されるのはある意味自業自得なので……。メルは他人の自己満足劇場に巻き込まれるのが大嫌いだろうから。むしろカインくんに対して終始ほとんど皮肉を言わないのが意外ですらあった。
 麻耶先生の本は全体的に勿体つけたうえ突き放してるというか冷めた文章だなあと思う。でもそれがいい。作者が犯人の自己陶酔に寄りすぎていてねちっこいのは好きじゃないし……これぐらい突き放してくれた方がいいな。