感想置き場

BLとアサシンクリードが好き

『劇場版遊戯王 THE DARKSIDE OF DIMENSIONS』感想

 すごいものを見せてもらった……。まず映像が美しいのと動きまくるので一瞬たりとも目を離せない。ドローもカード伏せも「そんな大げさにやります!?」ってぐらい動く。モンスターも透き通るような美しさ。ブルーアイズ派生とかもう涙が出るほど美しい。本編で愛用していたモンスターたちが進化した姿で出てくるので召喚されるたびに「〇〇来たー!」ってワクワクできた。イチオシはやっぱりブラマジかな~。なんてスタイリッシュな姿…カラーリングもオシャレ。エルフの剣士も岩石の巨兵も新しくなって嬉しかった。パンデミックドラゴンもたぶん死のデッキ破壊ウイルスの派生か?インフレしたインチキカード同士の戦いってなんでもありすぎて個人的には白けてしまいがちなんだけど、知っているモンスターの派生が戦うのでその辺りの他人事感を感じなかった。そのうえガンドラクロスディープアイズ召喚の時に5d’sさながらの詠唱が入ってテンション爆上げ!
 次はストーリーについてなんだけども、これは初見で映像を追うのに忙しかったってこともあるけどぶっちゃけ雰囲気でしか理解できなかった。まず「新しき次元」ってのが具体的にどういう条件が揃ったら行ける場所なのかがはっきり説明されなかった。いや、してたのかもしれないけど展開が早かったんで、納得する暇がなく先へ先へと進んでしまって「どういうことなんだ?」という気持ちをもったままモヤモヤが残った。
 原作ではファラオが冥界に帰ったところまででそのあと彼の魂がどうなるのかまでは描かれなかったが、冥界を牛耳るのかもしくは転生したりするのかなと考えていた(後で知ったことだがエジプトの信仰的には、死後は楽園へ辿り着くかアメミットという怪物に食われるかなので転生はしないらしい)ので、ファラオの力で「新しき次元」に導くという計画(?)があるというのがいまいちイメージしづらかった。
 というか結局シャーディーってなんなんだ。原作でも最後までよくわからない人のままだったけどここに来てさらに謎が増えた。本編読んだときはファラオの記憶のことを知らない遊戯たちにヒントを与えてくれる存在だと思ってたんだけど、実は対象を次元移動させる能力を隠し持っていたとか超常の存在すぎるだろ。もはや闇の力とか超えてる。
 あと「集合的無意識」は有名なので知っていたけど、人間はその集合的無意識によって決められた役割を演じさせられているに過ぎない、というのがさっぱりわからない。なんとなくはわかるような気がするけど、「次元を移動させて集合的無意識から切り離す→他人から認識できなくなる→人は他人から認識されて初めて自分を自分と定義することができるので存在を維持できなくなる」って飛躍し過ぎてないか?と思う 。ただ社長がそれを回避した手段がデュエルディスクをピカピカさせて自我を増大させる(!?)ことなのは笑ってしまった。

 しかし藍神くんが状況的に敵みたいになってるけどどう考えても社長が墓荒らししたせいだよね。社長が何もしなければ彼らは予定通り新しい次元に行けたんだからやっぱ社長が悪くない?

 

ここからは海馬社長の話
 私社長のことを甘く見てたわ。社長の遊戯・馬鹿デュエル馬鹿加減を。原作ではアルカトラズを華麗に爆破してご機嫌で決めポーズなんかしちゃって希望の未来へレディーゴーしたあと最終回ちょろっと出てきただけだったから、「負けはしたけど気が済んだからいったん落ち着いて社長業がんばるぞ!」という爽やかな後味を感じていた。未練とかそんなねっとりしたものは想定していなかった。ところが蓋を開けてみればねっとりとかいうレベルじゃない執着。普通に考えたら墓荒らしの罰としてファラオの呪いを受けても仕方がない。

    そのうえ地面から神をドロー!地面から。あの瞬間私は思わず思いました「こいつ馬鹿だろ。」と。 私は社長のこと超愛してるけど、むちゃくちゃ過ぎてドン引き半分尊敬半分という複雑な気持ちです。地面に手のひらバーンして「うおおおおおお!」とか言い始めてもう笑うしかない!オベリスクさんもあれだけむちゃくちゃなことされたらつい出て行きたくもなるよ。

    最初にAIのアテムと社長が戦ったとき、社長が勝ったのにブチ切れてたので「勝ちたいのか負けたいのかどっちなんだよ!」と思った。「本物の遊戯ならどんな状況でも逆転の一手を打ってくるはずだ!」という想いからだとしたら、彼が一番アテムを理想化してるのかも。

    そんでもってアテム復活のために「重力下ではパズルを組み立てるのが難しい→宇宙へ行けばいいじゃない!」と来た。財力があって頭がいい馬鹿は立ち止まるということを知らない。
  面白かったのは表遊戯さんを待ち伏せしてた時の「この町はKCの監視下だからお前の行動などお見通しだ。」という発言(住民の人権が無い……)。ドミノシティのデュエル脳っぷり本当に好きだわ。
    そんなめちゃくちゃな人のくせに、化け物化した藍神くんとのデュエルで表遊戯さんが「僕の戦いだ!」って主張したとき譲ってくれたのは意外だった。社長が人の話を聞いたぜ!なんてレアなんだ!でも社長って本編でも闇遊戯に強く主張されると「ぐぬぬ…」とか言いながら何だかんだ譲歩してくれること割とあったから、認めた相手の話は聞いてくれるところはある。タッグで戦うときも独りよがりにならず、ちゃんと表遊戯さんを生かしてくれるところが憎めない。原作の対仮面コンビの頃より協調性を獲得してる。

 遊戯たちに対する距離感については、たぶん社長本人も自分の気持ちがどうなのか理解してなさそう。実際、絆の力を否定するとか言いながら結果的に遊戯たちを助けちゃうことは何度もあったし。でもそういう「仲間ではないけど同じ陣営」みたいな距離感がこの人には一番適切だと思う。いくらデュエルキングの称号とか負けっぱなしが悔しいとかあっても、命をかけて冥界まで行くくらいだから、彼にとってアテムとのデュエルが一番楽しいという事実は揺るぎなさそうだからそれでいいんじゃないかな。もちろん勝つために戦っているのだから、城之内くんたちみたいに「お前と一緒にいたいんだ」みたいな方向性には一生ならないし、ただ楽しむことが目的のデュエルはしないんじゃないかと思うけど、これも一つの情というか絆(?)の一つの形ではないかと思う。

   しかしアテムの魂がパズルの中に無いってわかったときの社長の顔ちょっと泣きそうじゃありませんでした?社長がああいう顔するの想像したことなかったんでかなりびっくりした。マジでアテムを求める心がヤバイ。遊戯さんの代わりにダメージを受けて倒れる直前の「奴を……呼べ……」を聞いたときあまりのひたむきさに身体が震えちゃったよ。「海馬くん……君は……そこまで……」みたいな気分だった。あのときの社長の「信じる心」は正真正銘本物だったよ。

 しかし単に強い相手と戦いたいのだったら闇遊戯に勝った表遊戯さんでも十分資格はあるはずなのに、頑なにアテムだけを求めるのはなぜなのかということを私はずっと考えてた。たぶんだけど、表遊戯さんにとってゲームは楽しむものだから戦いというほど血生臭くないんだと思う。全身全霊で相手に向かっていくのは同じなんだけどあくまで知恵を絞るものであって命を懸けるものじゃない(改めて書くと当たり前すぎてビビるな)。でも社長にとってはゲームであろうが戦いは戦いで、強者に勝つことで己の存在を自他(もっというと世界か?)に刻み付けることが人生の目的そのものなんだと思う。王国編みたいに「負けるなら死ぬ」とかは流石にもうやらないだろうけど、覚悟をもって挑んだ戦いで結果的に死んだとしてもそれも運命と受け入れそうなところは未だにあると思う。アテムがデュエルで命を落とすことに対してどう思っているかははっきりとはわからないが、罰ゲームで相手の精神を破壊してた頃のことを鑑みていいなら、ゲームに命を賭けることの意味を肌感覚で理解してるのではないかという気がする。社長はアテムのそういう、戦いへの姿勢というか価値観(?)にシンパシーを感じているのかなあと私は想像している。あとはやっぱりデュエルスタイルか。私はリンクスでぬるーくやってるだけだからふんわりとしかわからないけど、やっぱり戦って楽しい相手というのはいるし納得のいく勝ち方ってのはあるよね。(性格悪そうなデッキ使ってるやつは強い弱い以前に嫌いだし)

    つくづく思うけど、アテムが死者じゃなかったらなあ〜(根本の否定)!一生互いに張り合いながらなんやかんやで腐れ縁続けていけたんだろうなぁ〜〜!見果てぬ戦いのロード見たかったなぁ〜!冥界でアテムに勝てたら(というか勝つまでやると思うし、いつかは勝つと思う)もう社長は最前線ではデュエルしないかもしれない。でもそうしてようやく彼が次のステージに行けるなら素直に祝福したい。

   エンディング曲も暗く沈んだ中に情熱の炎がゆらゆら燃えているって感じで、社長の精神を見事に表していて、なぜかわからないけど涙が出ちゃった。表遊戯さんや城之内くんからは絶対に味わえない感情が出ていて最高だった。