感想置き場

BLとアサシンクリードが好き

『Detroit: Become Human』感想

 ストーリーの評判がいいのでやってみたけど、いやもうコナーちゃんが可愛い!警察に初めて派遣された捜査専門のアンドロイドとかいう超絶エリートなのに最初から妙な愛嬌があって、「この人大好きになる予感がするな…」と思っていたが案の定最後までチャーミングだったね。ハンクおじさんの好感度を上げたくて頑張って選択肢選んだのに何回か地雷踏んでしまってしょんぼり。個人的には人間のためというよりハンクさんを守りたかったから、2人のコナーくんから本物を選び取るシーンとか最後2人が朝日の中抱き合ってるシーンを見たときは最高に人生の喜びを感じた。コナーちゃんが感情に目覚めないルートもあったのだけど、ハンクさんに嫌われちゃうことに耐えられないのでやらなかったくらい。 

 感情移入という点ではたぶんマーカスが一番だったと思うけど、彼の元ご主人様のカールお爺様、すっっごくいい人すぎてこんなご主人様いたらそりゃ愛してしまう。ただのアンドロイドに対して「自分で考えて絵を描いてみなさい」とか言ってくれる人なんてまず居ない。一般的にはアンドロイドって「積極的に暴力を振るいたいとは思わないけど自主性なんて抱いてほしくない」存在なワケでしょう。私は「それ自体」は大した罪ではないと思う。少なくとも常識的に考えればアンドロイドは人格をもつ者ではなく機械の延長として生み出されたのだし。それなのにある日突然自我が芽生えて「命令なんてされたくない」とか言われたら驚愕するのは当然の反応だと思うから。アンドロイドが「殺され」て可哀想と思うのはプレイヤーがアンドロイドを操作してるからであって、人間からしたらそもそも生き物ではないのだから虐殺には当たらず、ただ不具合の出た道具を「責任を持って」処分したというだけの認識だろうな。
 愛するご主人のドラ息子との諍いで廃棄されてしまったマーカスくんだけど、生き延びることへの執着が半端ないし、新入りのくせにジェリコのリーダーになってしまうほどの器なのはプレイしてて驚きの連続だった。やっぱ自主性を育てるカールさんの教育の賜物なのかなあ。彼が人間許せねえって言う度に「お爺様のこともそう思うのか…?」って心配だったけど終盤で墓参りして「あなたに会いたい…」って弱音吐いてて安心した。
 1週目は平和か暴力かどっちつかずな態度をとっちゃったので平和デモした後ジェリコ襲撃されて「もう我慢できねー!」って戦争仕掛けて、でも私がゲーム下手くそだから普通に戦争に負けてマーカスくん死んじゃって結局何も得られない悲惨な最期を迎えた。しかも「投降すれば撃たない」って言われたから投降したのに無慈悲に撃たれて人間の醜さを呪いながら死んだ。それで2回目は平和方向にしたんだけど「これだけ理不尽な暴力を受けてなおそれって人間に甘すぎねえかな!?」という憤りも感じつつ、でも戦争を始めた時点で物量的に劣勢だから勝てる見込みも薄いため葛藤し、渋々平和を訴えるも軍は相変わらず暴力に訴えてくる。これは攻略サイト見て知ったことなんだけどFBIのおっさんと迂闊に交渉したら死んでたんだって?おのれ人間!

 平和デモの最後なんだけど、一点だけ納得いかなくて、アンドロイドが平和の歌を歌ったら軍が撤退するってロマンチストかな?それまであれだけ殺戮の限りを尽くしておいて歌聞いたら萎えるの?他の選択肢なんか「ノースにキスする」があって思わず「恋愛脳かな?」って声出ちゃったね。いやなんかこう…アンドロイドにも情緒があって愛を理解できる的なアプローチだったんだろうけど、ただの市民ならまだしもそれで納得する大統領ロマンチストやなあ!まあ人々の行動がただの無知と恐怖による反動にすぎないのだから、そんな些細な気づきでも暴力の愚かしさに気づけるよ的な?ことが言いたかったのかも。でもやっぱり、ストーリーをハッピーエンドにこぎつけるためにふんわりオチにするしかなかったのかなあ……と考えてしまった。
 でもマーカスくんの選択は革命でも平和でも偉大だったと思うよ。黙って耐えるだけじゃ心が死んでしまうけど、武力でその時だけ解放された気になっても一度始めた暴力の連鎖から脱出することは難しい。こっちが平和的に進めようとしても容赦なく撃たれて死んでいく仲間を前にして「平和のために非暴力でいる」という姿勢を保つのもとてつもない勇気が必要。しかも責任者として立つ以上どちらを選んでも常に死の危険にさらされているわけだし。しかし人間の殺意が吹き荒れる中で「平和的に」とか寝言言ってると言えなくもないマーカスくんを罵らない仲間がすごいなと思ってしまった。平和的な姿勢を貫いたらマスコミのおかげで世論があっという間にひっくり返って「人間チョロ!」となったのは内緒。

 カーラさんのパートは正直言ってストレスの方が大きかったかな。まず初っ端からリアルめな児童虐待家庭でげっそりしたのと、私が「母性」みたいな概念が嫌いだから。アリスのことは全然嫌いじゃないというか、むしろ子供としては聞き分け良すぎて強いなと思うくらいだったんだけど。DV親父から逃げたと思ったらラルフとかいう危険な青年は出るわ、助けを求めたおっさんはアンドロイド虐待が趣味だわ、私はスニークミッションが苦手だわでストレスの連鎖で……。あとルーサーが加わってあからさまな疑似家族だったのがね……「あーいつものね」という空気になってしまって……。

    それでも人間の女の子と寄り添って生きていくならアンドロイドと人間の共存という大きな希望への一歩となれそうだなと期待してたんだけど、「実はアリスはアンドロイドでした!」でしょ?おいおい共存はどうしたよ!なぜ全員機械なのに「父と母と小さな子供」の形にそんな拘る?それで激萎えしたので選択肢間違えてカーラとアリスが死んじゃってもやり直す気になれなかった。

 

まとめ

 いろいろ言ったけどストーリーのクオリティが高いというのは本当だった。3人の主人公がバラバラに取った行動がラストに収束していくのはワクワクしたし、自分の行動ひとつがいろんな人の命運を決めることになるのが面白くて、没入感という点では100点満点。
 しかし私にあまりにゲームの才能がなさ過ぎて1週目は3人全員死んだのは笑うしかない。コナーちゃんが自害するor諦めるの選択肢で「諦めるって何を!?」とあたふたして自害は流石に可愛そうだと思って避けたらアマンダの思惑通りになって「クッッッソ!なんでだよ!!」となったアホさ。
 ただメタ的なことを言うと、アンドロイドが人間に憧れる物語を求めるのって結局「人間は素晴らしい、人間はこれでいいんだ」と人間以外の誰かに肯定してもらいたいという欲望に過ぎないんじゃないの〜それってどうなの〜という疑念が生まれてしまった。私ずっとこの手の話で「なぜ人間のようになりたいと思うのが当然みたいな想定なんだろう?」と疑問を抱いている。機械には機械にとって最良の幸せというものがあるのではないか?一応デモ行進のスローガンが「我々は人間だ」ではなく「我々は生きている」だったのは単なる人間への憧れと同化願望ではないという意図なのかもしれないが、どうにも人間があらゆる生物の理想形だと思っているような空気を感じたのは考えすぎなかな?