感想置き場

小説・ゲーム・稀に映画の感想置き場。ミステリーとBLとアサシンクリードが好き。

京極夏彦『姑獲鳥の夏』感想

 京極夏彦はどうやらすごいらしいというぼんやりした噂を聞いて、せっかくだからと前情報ほとんど無しで読み始めたから、冒頭で姑獲鳥が母親とか妊娠がらみの存在とわかってちょっと身構えた(妊娠モチーフがすごく苦手なため)。でもそういう問題では全然なく、私ごときの想定など無意味になるくらいいろいろと超越してぶっ飛んでいて、未知なる扉が次々開かれていくような体験だった。ミステリーとはいうけれどもはや赤子失踪事件がどうとか犯人が誰かとかは大した問題ではなくて、「この話はどこへ行くの!?」って心だけがページを先へ先へとめくらせていた。真相を知ったあとにもう一回初めから読むと「ああ〜〜あれはそういうことだったのか〜〜」ってなる点が多い。
 
 まず最初から京極堂も関口くんも理屈っぽさがフルスロットルだから冒頭からしばらくはただただ圧倒されていた。でもそれらのやり取りの中に「こいつらは気安い関係なんですよ〜」というサインが散りばめられているのでニコニコしてしまう。皮肉の応酬というか失礼なことばっかり言い合ってるけど、この人たちはおそらく斜に構えないと死んじゃう人たちだからこれでいいんだろうたぶん。私にとってはこいつらの両方に妻がいる事が1番のミステリーだよ。
 しかし京極堂はとても弁が立つ!心と脳と意識は全部別物であるなんて考え方、私は初めて聞いたよ。もし仮に知っていたとしてもここまで理路整然と説明できるかと言われると無理な気がする。
 人間の外にある世界と内にある世界は別物であって、我々が脳というフィルターを通して世界を認識している以上、それぞれの心が感じ執る世界の姿は"真実"の世界そのままではないらしい。同じ世界を見ているようでいて、実際は人の心の数だけ違った世界を見ているわけだから、真の意味でそれらを共有することは不可能という話。言われてみれば確かにそんな気がするし考えるだけで面白いテーマだけど、同時に「で?それが何なの?」としか言えないような高説がのちのち真相を紐解くための重要な鍵になるとは思わなかった……。いや冷静に考えたら無駄なことをわざわざ尺作って書くかよって話ではあるんだけど、単純に長いのと矢継ぎ早に話題が出てくるのと論旨の鮮やかさに圧倒されてそこまで気が回らなかったんだよ……この人の本は初めて読んだから……。話が長ったらしいのだって、そのあとの「下卑た憶測で記事を書いたら生まれてくる子供の人生を壊すからやめておけ」と言うためにわざわざ量子力学的な話をしてくれたり、一見ややこしいんだけど実は懇切丁寧に、ちゃんと読めばわかるように言ってくれているんだよな。単に突っぱねるんじゃなくて関口くんに(もっと言えば読者にか?)理解させるためにわざわざ知識を披露してくれているわけで、要するに京極堂は親切ということなんじゃあ……?
  京極堂のあとはしばらく榎木津くんのターンなんだけど私は彼が本当に大好き。少女漫画にありがちな憧れの王子様みたいなステータスをしながら全然違う存在に落ち着いているのがすごい。しかし学生時代は優秀で人気もあった人が、卒業後には意外とうだつの上がらない感じになってるのは妙にリアル。でも本人はそういうことを大して気にしてないのがまたいい。榎木津くんパートの何が最高かって、関口くんが彼の顔の美しさに見とれるシーンが入ってることね。ありがとう……。男が男の顔を褒めるときほど血湧き肉躍る瞬間はなかなか無いよ。
 ところで私の体感に過ぎないが、躁病の気があるとはっきり言われるキャラクターは鬱病傾向のキャラクターに比べて珍しい気がする。明るいこと=無条件にいいことと思われがちだから新鮮だった。鬱病の関口くんと相性がいいとか言われていて、正反対の方が上手くいく人間関係ってあるよねと思った。京極堂と関口くんもいいけど榎木津と関口くんも捨てがたいね。
 まず推理小説に出てくる類の探偵を大真面目に名乗れるのは変人だけだろうと私は思います。しかし変人代表みたいな京極堂と榎木津くんが口を揃えて「関口が1番変わっている」って言うところもまた愉快。まあたしかに関口くんは"ヤバイ"からね!最初はわかりにくいけど読み進めれば進めるほどヤバさが露呈していく感じ……。
 しかし涼子さんが登場してからの関口くんは……お世辞にもまともとは言い難い……すぐキレるし。この関口くんの精神バランスが崩れていく表現がまた巧みで、背筋が寒くなった。恋文を人から託されるくらいだから信用されていたのだろうし、実際発狂モードに入らなければ実直な青年なんだろうと思うけど。語り手を疑わなきゃならない小説ってのはまったくもってやり辛くて最高。
 この話はミステリーとはいうものの、事件はあくまで話を回すための装置であってそれそのものには大した意義はないという印象。そもそも真相だの解決だのだけが目的なら榎木津の幻視を使うだけで終了ですからね(証拠はないから関係者が納得するとか警察に突き出すとかは無理だと思うけど)。重要なのはそこじゃなくて、それぞれの心がどこに着地するかなのではないかなあと思った。物理的トリックではなくてそれぞれの認知が謎を作り出しているという話の作り方が一風変わっていて本当に面白い。
 この話で1番のキーポイントを選ぶとしたらやはり梗子さんのいる部屋に榎木津と関口くんが入ったシーンだと思うのだけど、すべてを知ってから読み直すと2人のやりとりが愉快半分怖さ半分って感じでぞわぞわする。まさか語り手たる関口くん本体が罠だとは思わないじゃん……。小説の「文に書いてあることしかわからない」という特性を利用したこの手のギミック(?)大好き。「自分は狂っていない!」ってブチギレる関口くんが怖すぎて最高。たしかによく読むと本棚とか蛍光灯とか上部分の話しかしてない!床の話はしてない!こういう「ああ〜〜!」を味わうために本を読んでいると言っても過言ではないくらい真実を知った瞬間は気持ちいいんだ 。
 ところで涼子さんと梗子さんの顔がよく似てると書いてあった時点で「取り違えだこれーーっ!」ってわかったよね(ミステリあるある:そっくりな人物が出てきたら大抵取り違えか入れ替わりが起こる)。
    京極堂の憑き物落としのシーンにはオタクの血が騒いでまあテンション上がってたんだけど、そのあと妊婦の腹が避けて死体が生まれる(実際は生まれていないが)とかいうシーンのインパクトが強過ぎて全部流れちまった。「けええええええええっ!」とかいう鳴き声も入るし何!?地獄絵図!?その場にいたら絶対失神する自信あるわ。しかし想像妊娠かあ……性嫌悪人間にはキツイ話だぜ……。性交と妊娠だけが"真の愛"とかいう世界観マジついていけね〜。

    牧朗さんのお母さんは本当に純粋に息子の幸せを願って言ったのかもしれないし当時としては自然な価値観だったのだろうけど、「人の一生で1番大切なことは子供を産み育てること」なーんて言っちゃあ、そうできない自分は存在してはダメなんだという結論になってしまうよね。もしお母さんが生きていて牧朗さんが生殖できないと知ったら当然撤回してフォローするんじゃないかと思うけど、死んでしまった時点で遺言として固定されてしまったのが運の尽き。真面目過ぎてぶっ壊れてしまった哀れな男……。
    牧朗さんの事件の方は解決して、赤子失踪事件の方はというと、ここでまさかの「多重人格」来ちゃった。そっくりな2人の入れ替わりと同じくらいのミステリあるあるっぷり。そんなあるあるを使いながらここまで奇想天外かつしっかりまとまった話を作れるってすごすぎる。
 しかし菊乃さんも殺した赤ん坊をホルマリンづけにして母親の枕元に置くって……ハタから見たら狂気そのものだけどやった人は大真面目なんだものな……。そりゃ涼子さんの心も壊れるわ。でも自分の母親にされたことを同じように娘にしたわけだから実行した菊乃さんだけが悪いわけではなくて、だからこそやるせない……。しかし仮に伝統だからそうしていたとしてもいつか誰かが断ち切らなきゃいけなかったわけで、そこで安易な慰めをせずに厳しく言う京極堂の距離の取り方はさすがだと思った。
 しかも涼子さんが壊れたのはそれだけのせいではなくてそもそも幼少期に性犯罪を受けたからなわけでしょう。もう私は涼子さんが可哀想で可哀想でたまらないわ。元凶の菅野は消えてしまっているから糾すこともできないし本当にこの人が何をしたというんだ。無関係の赤ん坊を殺すのはもちろん許されないが、涼子さんが久遠寺家の被害者であることもまた間違いない。
 涼子さんが最後に妖怪ではなく涼子さんとして死ねたのは関口くんの「かあさん」という言葉のおかげだと思うのだけれど、なぜその「かあさん」が効果を発揮したのか私はいまいち理解ができていない。"久遠寺の母"の状態にもう一度お母さんと呼んだらどうなるのか誰も試してなかったから、と理屈は考えられるけれどどこか違う気がする。涼子さんは梗子さんみたいに「妊娠しないと愛があったことになれない」が理由だったわけではなくて「母になる」こと自体は望んでいたことだから、"久遠寺の母"でなくても"涼子という母"でいることはできるということだろうか?関口くんは涼子さんを"母"として見ている"子供"だったからだろうか?京子という名を与え存在を確定させたのが彼だから?どれも近いようでどれもそうではないような……わからん。

 最後関口くんが日常に戻っていくまでのシーンを改めて読んだら、なぜか得も言われぬ感慨に襲われて涙が出てきてしまった。京極堂が珍しく優しいのもなんかむず痒いし、逃げようとした関口くんが偶然妻たちに鉢合わせてようやく日常に戻る決心がつくのとか、やっぱり多少強引にでも繋ぎ止めてくれる人たちがいて初めて関口くんはこの世に立っていられるのだなとしみじみ思える。彼1人だったら絶対に無理だ。
 忘れたい忌まわしい記憶は夢の中の出来事として隔離する方が一見早く日常に戻れるような気がするのに、本当はそれよりも「日常の自分と非日常の自分は同じで、地続きの世界なのだ」と認識した方が落ち着けるなんてまったく人の心は不思議なものだな。

 終わりに、京極堂と関口くんの関係良すぎるポイントを羅列でもしてみようと思う。
・喫茶店に一緒に行ったり夕食を摂るのも忘れて話し込んだりするのもままある仲
 仲良しじゃねえか……同じ次元で延々と話ができるほどの友達がいる時点でもう人生最高!と判定してもいいくらいだぞ 。京極堂ってだいたい登場シーンは「親戚一同死滅したような不機嫌さ」などと称されるくらいの人相なのだけど、実は結構笑っているんだなと後から読んで気づく。
・「君は狸蕎麦にしたまえ 僕は狐饂飩にしよう」
 なんでお前が決めるんだよ。でも優柔不断の関口くんに考える暇も与えず勝手にさっさと決めてしまうのは効果的なんだろうな。関口くんの鬱が寛解したのもこういうことの積み重ねによるものだろうとこれひとつでも推測できる気がする。
・「君は別にいつまでいてくれたっていいんだ」
 は、破格の待遇……いくら友達だってここまで言うことはそうそう無いよ!?もしかしたら社交辞令で言うことはあるかもしれないけど、京極堂は「いい」と言ったら本当に「いい」んだろうから……。一般的な意味での愛、というには少し違う気がするが"無限の許し"が無ければこんなことは言えない。柄にもなく慰めようとしてくれてるし、でも逃げる関口くんを引き止めようとはしないし、一見どういう原理で動いているのかわかりづらいけど実際関口くんの何もかもを"許して"いるのかもと思ったらやっぱり感慨深い。関口くんの厄介なところに心底呆れているのは確かなんだけど、それも含めて"そういうもの"としてただ許容しているとしたらこれほどでっかい愛もそうそう無いのかもしれない。

 

追記(新しく気づいたこと)

    1年過ぎてもう一度読んだ。2回目だからこそより実感する圧倒的構成の上手さ。最初は無駄に見えた話の数々が最後には全て必要なことだったのだとわかる展開には感嘆するばかりだ。

    特に「鬼の子が"異常な出産"で産まれた」という伝説から「"異常な出産"で産まれたということはこいつは鬼に違いない」に逆転した例を出して「結果から過去が作り出される現象」の話をしたことが、その後の「『妊娠しているということは性交渉があったんだ』と思い込もうとする現象 」に繋がっていたんだと気づいた瞬間はまさに雷に打たれたような心地だった。

    それと牧朗さん消失の謎が今回最大のキーだったわけだが、そこで冒頭の「個々の仮想現実を完全に共有することは不可能」という話をストレートに利用するだけでなく、先に「榎木津には常人には見えないものが見える」という話を強烈に印象付けその方向で話が進むのかと予想させておいて、実は真相を知るために気がつかないといけないのは「関口くんにだけ見えていないものがある」ということの方、という裏切り方には本当に感心した。終始一人称視点の小説という時点でその語り手の仮想現実しか読者には提示されないので、その客観的な正誤も判断できないということなんだ。

    裏切りという意味では「梗子さんは多重人格なんじゃないか?」という仮説を一旦打ち立てて却下しておいて実はそれが当てはまるのは涼子の方、という展開もそうかもしれない。一度意識の外に追い出されたものをもう一度中にもってくるには少しだけ段階を踏む必要があるという心理を利用したのかなと思った。    

    あとは牧朗さんが妻に不貞をはたらかれていたのにまるで怒らないのを見た2人が彼を狂っていると判断したのも、「愛する妻と間男を目前にした男なら普通〇〇するだろう」という共同幻想をもつ2人だからなんだな。それは現代日本ではほとんどの人が抱いているであろう共同幻想で、そこから外れたものは狂人と呼ばれるわけだ。その"狂人"の中ではちゃんと理屈が通っていたとしても誰にも伝わらないなら脅威とみなされてしまうということ。

    それから「なぜ関口くんの『かあさん』が効果を発揮したのか」という疑問の答えがわかった。まずそれ以前に、1回目に読んだときの私はその言葉を発したことが"久遠寺の母"から涼子さんに戻るトリガーになったんだと思っていたのだけど、京極の「下位の自我が上位の自我を告発した」という台詞を鑑みると、榎木津の前に立った時にはもう既に涼子さんが表に出てきている状態だったということになる。そしてそれとは別に姑獲鳥から涼子さんに変わったように見えたのは、その間の京極の「そこにいるのは涼子さんだ!」という言葉によって関口くんの仮想現実が書き換わったからでもあるし、関口くんの「かあさん」によって涼子さんにとって長い間「奪う者」だった「母」という概念が本来は「与える者」なのだと思い出させてくれたからでもあるのではないか。そして「なぜ関口くんが特別なのか」という問いの答えは、涼子さんにとって彼はあの頃からずっと「自分を救ってくれる人・この人になら救われてもいいと思った人」だったからだ。その「救う」の意味は恋文を渡した頃とは違っていて、京極の言うことをそのまま採用するならば今回はそれが「苦しみに明確な終わりをもたらしてくれる」という意味だったということらしい。