感想置き場

小説・ゲーム・稀に映画の感想置き場。ミステリーとBLとアサシンクリードが好き。

京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』感想

  百鬼夜行シリーズは順番通りにちゃんと読んだのに、消化するのに時間がかかって感想書けるほどにならなくて、結果いきなり陰摩羅鬼からまとめることになってしまった。

    読み終わって最初に「このくらい短いとシンプルでいいわ!」と思ったんだけど他の巻と並べてみるとそこまで厚さが変わらなくてびっくりした。塗仏の宴の後だったらなんでもシンプルに見えるわ。それを差し引いても今回は人物関係錯綜してないし舞台もお屋敷ひとつだからわかりやすかったね。話の筋もしばらく読んだら「だいたいこんな感じだろう」と見当がつくくらい素直だったし(鳥の剥製を家族と呼んでた時点でほぼ察した)。そのぶん登場人物の掘り下げが丁寧なように感じられてとてもよかった。
 しかし私は昔から儒教はどうにも苦手だ。そもそも漢文が苦手だ。だから儒教の解説とか孔子のウンタラカンタラの部分はたぶん半分も理解できてないと思う。
 伯爵とその他の人の間で"死"の意味するところがズレているなというのは結構序盤で見当がついたので「アンジャッシュのコントか?」と思いながら読んでいた。私たちはいわゆる"常識"や言葉の意味などはわざわざ前提をすり合わせなくとも当然通じるものとして会話をしてしまいがちだが、生育環境がここまで違えば当然"常識"も人によって異なってしまうものなんだろう。自分とは違う常識の世界で生きている人にも「普通はわかるでしょ」などと言いたくなるのは「そうだったらいいのにな〜」という願望でしかないのかもしれない。

   というか問題は伯爵ではなくてお父さんだったし!何してくれてるのお父さん!妻の剥製なんか作ってるんじゃないよ!

ここからは人物ごとの感想

・関口くん
 関口くん!前巻ではしょっ引かれるだけでまるで良いところナシだった関口くんじゃあないか!「逮捕拷問された割には思いの外ピンピンしてるじゃん。やはり壊れてるのが常だからダメージも少なかったのか?」とか思ってたら普通にガタガタだった……(ですよね〜)。
 関口くんから雪枝さんへのスタンスは結構詳しくわかったけど、雪枝さん側からは関口くんがどう見えてるのかが気になる。逮捕されたぐらいで離れるような関係ではないみたいだけど、どういう心境で一緒になろうと思ったんだろうな。
 最近の彼は事件の蚊帳の外なことが多かったから、今回は彼の自己分析多めで若干懐かしさすら感じたよ。
 しかしそれはだいたい私にとってわりと他人事じゃない内容なので毎回読むのに体力がいるんだよな……。

    まだ完全に理解できたわけではないのだけど、「自分が存在していること」を確信させるものは「存在を失うことへの恐れ」であるということでいいのか?存在していなければ失うことを恐れる必要もないのだから、逆説的に、「恐れがあるということ」自体が存在の証明になるということか。
 生についてまともに考えようと思うなら死についてを切り離すのは不可能だ。しかし世の中には、大真面目に生について考えることがそこまで重要ではなく、「ただ生きている」という事実だけで世界と軋轢なく過ごせるタイプの人もいる。そういう人だったら死への恐れをいちいち意識の表層に上らせておく必要などないのだが、そうできないタイプの人にはその手の人がただ思考停止している愚か者に見える。だから関口くんは日常を蔑んでいるのか。ようやくわかったような気がする。

    日常をただ過ごすということが嘘っぱちに見えてしまう人には日常は「安心できる場所」ではないのだな。だから不安を自ら求め、不安でいることに安心するのか。
 ところでいつも猿だ愚かだのろまだと散々な言われようの彼だから、伯爵に一方的に好かれてアワアワしてるのが新鮮でよかった。気質的には2人普通に良い友達になれそうなんだけどな〜。事件が関係ないところで仲良くしてほしいけど伯爵は5人も殺しちゃってるから当分出てこられないだろうし……残念……。
 いつもモゴモゴフニャフニャデロデロしてるくせに榎木津くんに大事ありと聞けばつい迎えに行っちゃったり流されて面倒事引き受けちゃうところがもうね、真性の下僕ソウルを兼ね備えてますね。私は榎木津×関口もわりと推してるので「朝食は私が食べさせた」だの「手を引いて歩いた」だの書かれていたところで「めちゃくちゃ見てえ〜〜〜〜〜〜!!頼む!!絵面で見せてくれ!!」って発狂してしまった。榎木津くんが目を患うの、BL二次創作でよくやる、推しカプを引っ付かせるためのご都合トラブルか?そのうえ「こんな時まで猿はやめて」って文句を意外と聞き入れてくれて「タツミ」とか呼び始めたから気が狂う。やめて、急に優しくしないで。

・榎木津くん
 相変わらずブレないな……さすが自称神。
 視力失ったら"視"えないんじゃないかと思ったが全然そんなことはなく、むしろ余計な実像が重ならないぶん鮮明だったりするのかもしれない。そもそも最初から「目が悪いから"視"えやすい」と言われていたのだから、日頃から幻視の根拠となる情報は目以外で受け取っているのは自明のことだった。
 ところでこの人今の所喧嘩で無敗なんだけど、見えなくても戦えるって本当に全てが規格外の存在だわ。そのくせ毎回毎回人命救助の精神だけは忘れないし実際に数々の命を救っているのでやっぱり”良い人”なんだな~と思った。人の話聞かないのだって長ったらしい前置きや余計な修飾が面倒だからであって、要点だけスパッと話せば聞いてくれるっぽいし。今回薫子さんが亡くなってしまったのも誰もちゃんとこの人に説明しなかったからだし。手遅れだったとわかったあとは普通にちょっと落ち込んでたみたいだし。やはり彼はこのシリーズにおける太陽神じゃあないかな。
 余談だが、私は日頃そんな口調は使わないであろう人が急に「面白くねえ」とかガラの悪いセリフ零すのを見るのが大好き。

・中禅寺
 今回は珍しく腰が軽かったね。いつもなら頼られてもかなり渋るのに、今回は「しゃーない行くかあ」みたいなノリだったから「えっ!?もう!?早!」ってなった 。出てきたのは案の定最後の方だけどさ。やっぱり関口くんが現在進行形で壊れてたから心配したのか?面倒見良すぎない!?何だかんだ言って良い人だよアンタも。
 今回の憑き物落としは、今まで京極が語ってきたことの総括みたいな味わいだった。

    私たちが個々で「これが現実だ」と思っているものは実は現実そのままではないということは何度も語られてきたけど、その中でも特に「死」は生きている私たちにはどうやったって正解などわかるはずもないことだから、私たちは神や仏のような「確かなように思える」理屈を欲しがる。「信じるものは救われる」という言葉の通り、心の底から信じていられるうちはそのシステムは機能するが、「こんなのは無意味だ」と思うようになってしまったらもうその人にとっては無価値になる。
 しかし京極堂に「神だの仏だの死後の世界だのは全部嘘っぱち」とまで言い切られると「ついに言っちゃったよ」という気持ちになったわ。しかもそれを踏まえたうえで「自分が信じられる迷信は自分で作れ」とか言い出すのは衝撃的だった。それに加えて、人はここにいる以外どこにもいけなくて過去も未来もないから「自分が今ここに存在しているとはっきり認識することが供養」とか、名言のオンパレード。

    本当は自分だけがわかっていればそれでいいはずなのに、自分1人だけとなると迷ってしまうからみんなが使える約束事としての祭祀が必要になるということなのか。
 やっぱり京極(キャラと作者両方)はすごいな。こんな「言われてみればそんな気がする」レベルで意識の深層を彷徨っている類いの感覚にここまで明確に形を与えることができるとは。そう考えるとまず「言葉」そのものが、不確かな世界を確からしく感じられるようにするための道具であるのだよね。
 京極堂という存在がもたらす、自分の輪郭を確かにしてくれるような安心感とすべてを見透かされている恐怖感、好きなのに苦手、怯えながらも惹かれてしまう。まったく人間とは厄介なものだよなあ関口くん!京極堂が苦手だけど同時に好きでもあるんだろう関口くん!
 京極堂が伯爵の世界認識を「間違っている」ではなく「違っている」と称するシーンが好き。あくまで"あちら側"と"こちら側"の常識の違いでしかなくどちらが上とか下とかはないという姿勢。ただ言葉の意味に忠実なだけかもしれない、しかし「誤解のないように言葉を尽くす」のはやはり親切で、優しさなのだと私は思う。だからやっぱり私は京極堂は優しいと思う。
 私がこの話でもっとも心が揺さぶられたのはやっぱり「人は人を救えないよ」のシーンだね。京極は、私たちが確かだと思っている"現実"は実は不確かなものなんだと散々突きつけてきたくせにここに来て「現実を見て自分の足で立つしかない」などと言う。京極は伯爵にだって最後「あなたはそちら側で暮らすのかこちら側で暮らすのか選びなさい」と問うている。一般的には迷信だろうが非常識だろうが、「これが正しい」と自分のために選択できるのは自分だけだと。残酷~~。けれど限りなく誠実。
 手当てをしただけでは傷は治らない。肉体の傷は自分の意思とは関係なく治癒力さえあれば回復するもの。しかし心の傷は違う。どれだけ周りが呼びかけようが手助けしようが当人が「助かりたい」と思っていなければ無理だ。己の意思で不安を求め続け、そこに安寧を見出している限りそこから抜け出すことはできないのだ。

    自分の感情をとことんまで引き受けることができるのは自分だけ、自分は自分、他人は他人、どれだけ求めようが縋ろうが最後には自分1人だ。私もそんなことはもう耳にタコができるくらい聞いた。でもやっぱり1人は恐ろしくて、向き合うのも恐ろしい。だから"知っている"のに"解らない"んだ。向き合うのは嫌だけどその理屈が正しいということも同時に知っているから惹かれてしまう。難儀なことだよ。
 京極堂が関口くんを頑なに知人と呼び続けるのは、その気になれば支配するのは簡単だからなのではないか。そして京極堂はそれを"救い"だとは思わない。だから「知人」という言葉で縛って通常より大きめに距離を取ることで、踏み込みすぎる事態を予防しているのかもしれない。
 読み終わった直後は「あっさりだった」などと思ったが、この本は噛めば噛むほど味が出るような本という気がする(京極堂シリーズはだいたいそうだが)。