感想置き場

小説・ゲーム・稀に映画の感想置き場。ミステリーとBLとアサシンクリードが好き。

京極夏彦『魍魎の匣』感想

 姑獲鳥より先にこの感想は書き始めてたんだけど、あまりにまとまらなくてまさかの陰摩羅鬼より後回しになってしまった。
 な、なんじゃこりゃ……。今まで読んだ中でも5本の指に入るくらい奇怪な本だったわ……。これが大ヒットしたってマジ!?いやクオリティが低いという意味ではなく(むしろクオリティは高すぎるくらい)、こんな長くて重くて理屈っぽい文章を涎垂らして読む人間がそんなにいるのかという意味で。まあミステリーでは「理屈っぽい」は悪口にならないどころか褒め言葉だからそういうものか……。そうだとしてもお世辞にもとっつきやすいとは言えない内容じゃないかな?姑獲鳥の方がまだわかりやすいぞ、短いし(重要)。とにかく複数の登場人物と事件が複雑に絡まっていて京極堂のうんちくの内容も多岐にわたるものだからとにかく頭が忙しかった。面白……かったんだろうなたぶん……この感情を「面白い」と表現するのが適切かどうかまったくわからないけど……。
    複雑すぎるのでここからは各登場人物ごとに抱いた印象を分けて書き連ねる。

・木場さん
 姑獲鳥の後だから関口くんの視点に体が馴染んだ後であるということと、私が男女恋愛に一切興味がないということが原因で、冒頭からしばらく続く木場さんの独白とか陽子に対する執着のくだりは正直言って怠かった。しかし、何かと理屈を並べて結論を出してからでないと行動しない京極堂や関口くんに比べて、理屈より先に感情と直感で行動する木場さんはスカッとする存在であるのは確か。それでもただの無骨な刑事では終わらずに、本来は几帳面で神経質な性格だったのが、外見の厳つさや兵隊という立場などの外的要因によって作られた「箱」に合わせる形で性格までガサツな方向に寄せられてしまった、というのが一筋縄ではいかないキャラクター造形だなと思った。
 このシリーズに出てくるキャラクターは「考える」ことそのものに全然忌避感をもたないのだな、というのが私が抱いた印象。内容に関わらず「考える」こと自体を面倒くさいとか厄介ごとだと捉える人間もこの世には結構いると私は認識しているのだけど、この本に出てくる主要キャラクターは主義の違いこそあれど皆思考すること自体は忌避していないので私にとっては全体的に好感度が高めになる。木場さんが京極堂や関口くん等とそれなりに上手くやれているのはそういう共通点があるからだと思う。
 ただやっぱり「敵か味方かの二元論の世界でないと生きられない」から「惚れた女の敵を打ち払う」ために特攻するなんて行動にはけっこう引いた。「曖昧な状態でいなれけばいけないのは不安だから白黒きっちりしてしてくれれば楽なのに」という気持ちは私も結構わかるのだけど……。本人にそれが間違っているという自覚が大いにあって、それでもそうしないと気が収まらないと言うのだからもうどうしようもないのだ。

・頼子
 この人は私としてはだいぶ苦手なタイプなので、常に少し引きながら読んでた。「私の来世があなたであなたの来世が私」とか「加奈子は完璧だから年も取らないし苦しんだり悲しんだりしない」とかいうお花畑妄想に背中が痒くなってしまったよ。何が一番嫌かって、自分もその手の理屈に絶対取り込まれないという保証が全然ないことね。特に醜いものに対する嫌悪、「愛しているから、これ以上落ちぶれてほしくないから相手を消し去りたい」という類いの感情とか……。私のこの苦手意識も根底は同族嫌悪からなのかもしれない。自分も容易くそこに落ちる可能性があることを直感的に知っているからだ。

    ところで頼子が手袋の男の存在を「思いついた」と言った瞬間から「あ、これはでっちあげだな」とわかったよね。でもまさか関口くんの本から得た発想だとは思わなかったんでそこはびっくりしたわ。仲間内では酷評されてばっかりだけど一応プロの先生なんだから愛読者の1人や2人いるのはよく考えたら当然だった。

・榎木津
 こういう男キャラが私は大大大好きなんだ。才能と家柄に恵まれまくっているのに浮世離れしていて「責任」や「しがらみ」などとは無縁そうで異次元の論理で生きてる気分屋さんが!彼こそこのシリーズの清涼剤だと思っているよ私は。他人の記憶の断片が見えるという常人離れした能力をもっておきながらその仕組みに一切興味がないところも最高。探偵のくせに調査する気がまるでないところもいい。何の用事があるわけでもないのに京極堂の家にちょくちょくやってきて寝るだけ寝て帰るって何!?自由か!?


久保竣公
 この話で一番やりきれないなと私が感じたのはこの人だな。被害者から加害者になってしまった人であり雨宮さん(後述)と美馬坂さん(後述)の余波を受けて境界を踏み越えてしまった人。もし2人に出会わなければ、せいぜい親父をエセ霊能者にして不幸の収集という趣味に勤しみつつ(実際に救われている人がいるのでそれほど罪深くはないらしいし)不気味な小説を書いて暮らす程度で済んでいただろう。過去の境遇だの満たされたい気持ちだの、確かに土壌はあったのだろうけど、京極堂に言わせればそんなことは瑣末なことらしい。個人的性質はあくまで「境界に誘われやすい」というだけのことで、実際には美馬坂さんや雨宮さんと何の関係もなかったのに偶然会ってしまっただけであんなことになってしまった。だから彼は事件の犯人という立場にあるにも関わらず「この人でなければならない理由」は存在しなかったんだ。人間はただ「間が悪かった」というだけでこんな風になってしまえるのだと思うと悲しい。

・美馬坂さん
 元凶……と言っていいのかな?結局はこの人が天才で、匣なんてものを実用化させてしまえたことが発端なんだな 。出来なければすべては夢物語で終われたのに。

    「この不自由な肉体という枷から解放されて精神だけの存在になりたい」と思ったことが実は私もあるので美馬坂さんの発想はまったく他人事ではないのだ。京極堂に言わせればこの「肉体と魂を完全に分離できる」なんて発想が勘違いらしいけど。精神は肉体の影響を受けるものだから、「身体を取り替えてしまえば精神もそれに合わせて変質してしまうものだ」と言われたらそんなような気がしてきてしまう。ここら辺は姑獲鳥で言っていた「人間の心は脳にあるのではなく全身にあるのだ」という話に繋がっているんだな。でも美馬坂さんの考えもわかってしまう〜〜「ずっと幸福でいるためにはどうすればいい?」ということに思考を巡らせるとそこに至ってしまうんだよ〜〜。   (追記:一年越しに気づいたが、ここまで何度か出てきた「箱の形が中身を決めることもある」という具体例の中で最大のものがこの「肉体があって初めて心の形が決まる」という話なんだな。)

 しかし身体を機械に置き換えたら確かに人間よりは頑丈かもしれないけど、劣化や故障からはどっちにしろ逃れられなくて修理したり管理する人が必要なわけだから真に自由とは言い難いのではないかと思う。そういう意味でも機械化すれば完全になれるというわけではなさそうだ。
 ところで美馬坂さんが京極堂の開く「精神世界の扉」に対抗するために自分の理想にのめり込んだ、というようなことを言っていたのが気になる。己の精神世界に触れることを恐れていたのか?それを正面から見つめたら己の信じる合理性が壊れてしまうという恐れを奥底に抱いていたのだろうか?(追記:読み返してわかったが、京極堂の言葉が人に刺さるのはそれが本当のことだからなんだ。その人の無意識に元から存在していた疑念や願望などを呼び起こしているのであって外部からもちこんでいるのではない。だから美馬坂さんが恐れていたのは己の完璧な合理性が「壊れる」ことではなくて、自分が完璧に合理的な存在などでは最初からなかったことに「気づかされる」ことなんだ。明確に認識すれば自己を保てなくなってしまうと感じていたからこそ封印しておいた事実を、意識上に引きずり出してくるのが京極堂なのだ。彼はやろうと思えば人ひとりを壊すことぐらいきっと簡単なんだろう。)

 

・陽子
 大人しくて律儀な女に見えてなかなかの曲者だった!ラストの怒涛の告白には心底驚愕した。

    しかしミステリーって本当にその手の話が好きだよね〜。夫との子供じゃなくて父との禁断の子供でした〜ってやつ。まあ血縁関係の謎(実は〇〇の子だった!等)は私も好きだけど!「私が誘ったんです父は悪くないんです」じゃないんだよ陽子!美馬坂さんも断れ(彼も「私が悪かった」とは言っているけど)!?

    陽子が相続を拒否したのは良心が咎めたからでも加奈子に出生のいざこざを知らせたくなかったからでもなく、ただ「美馬坂さんとの」子供という繋がりを維持するためだったと……。ひえ〜〜怖いよ〜〜!しかし頼子の件で説明された「ある人を愛していたが故にその衰えが許せなくなり、殺して自分が成り代わろうとする」心理状態をここで再度使ってくるとは。もう頼子の件でこの話は終わったと思うじゃないの。あらかじめ出していたものを再利用するタイミングが上手すぎる。

    仮にあのまま2人が逃げおおせたとしても心から幸せと思えたかは正直微妙だと思うから、捕まったことで収まるべきところに収まれたのではないかなと思う。

・雨宮さん
 今回の勝利者。周りを置き去りにして1人(2人?)で桃源郷に行っちゃった人。無害かと思いきやとんだ曲者その2。
 なんで陽子じゃなくて加奈子を愛したのかもわからないし(愛の理由とか説明できるかって話だけど)、人間として綺麗に死なせてあげようという真っ当な主張が壊れたあとに死にかけの想い人との逃避行に至るまでに、どうやって彼にとって正しいと思える理屈を再構成したのかまったくわからない。雨宮さんは実際幸せだろうからいいんだろうけど、結局加奈子本人がどんな心境なのかはほとんど語られなかったのが悲しい。この話は加奈子を中心に回っていると言っても過言ではないのに、誰も「それが加奈子の意志に沿っているどうか」は気にしてくれない。 昏睡状態で確かめようがないから仕方がないのだがやっぱり悲しい。

・関口くん
 今作も絶好調(?)だね〜この人は!正気と狂気を行ったり来たり……久保くんと同じで常に境界に立ってるようなものだからな〜この人。関口くんが語り手のときはなんだかすいすい読めるので好きなことは間違いないんだけど、いつ暴走したり激昂するかわからないのが玉に瑕だよね。特に今作は京極堂に謎の対抗意識を燃やしてる場面が多くて、的外れな指摘や質問を繰り返したり、内心ではわかっているのに虚勢を張って認めたがらなかったりするシーンが多かったから少しイラついた。この人たちのコミュニケーションはもともとこういうものなんだろうけどさ。
 今回木場さんが主人公って感じだったから関口くんの良いところが何もない気がするんだけど、真相解明がいよいよ佳境に入って暴力まで発生するという緊迫した状況の中で1人だけ「匣の中身が見たい」とか言って自由行動してたのは笑ってしまった。さすが関口くんだブレない。ただ関口くんは他の人よりも彼岸のものに対して敏感だからこういう奇怪な行動に出やすいだけで、『蒐集者の庭』に書かれていたように、人の心の空洞に触れた者はそれが不味いものだとわかっていながら強烈に惹かれてしまうという傾向があるようなので他の人も実は彼と似たり寄ったりでしかないんだな。関口くんの魍魎は落ちたんだろうか……もう彼の性質とは切っても切れない概念な気がするから完全に落とすのは無理だと思うけど……。

京極堂
 姑獲鳥から読んできてほぼ確信したけど実は主要キャラでこの人が一番常識的なんじゃないかな。世界一理屈っぽいし偏屈でとっつきにくい野郎なのは間違いないんだけど、現代社会で生きる人として守るべき一線というものを誰よりも考えていると思う。たとえ手段がペテンであろうと結果として誰かが救われているのならわざわざ奪うようなものではないとか、無責任に記事を書いて誹謗中傷につなげるなとか、生い立ちや境遇が悪いから犯罪を犯したなんて決めつけるのは差別だとか、大切なことがポンポン出てくるすごい人。ズケズケものを言う様でいてけっこう気の使える男だし……(木場さんの恋をみんなに暴露しないところとか)。巻末の解説にも書いてあったけど、合理的でありながらも人の感情を蔑ろにしないという驚異的なバランス感覚が京極堂の魅力だよね。
 最後に京極堂が美馬坂さんの死体を見ているところが好き。関口くんの語る「悔しさ」とは自分と似ていると感じていた人間に先を越されたというか、裏切られた(?)に近い心境なのだろうか。京極堂はどうやったって理性の人以外の生き方はできないしなる気もないだろうけど、だからこそ羨ましいとか思うのだろうか。(追記:彼は美馬坂さんのことは「嫌いじゃない」と言っていたけど素直じゃない京極堂にとっての「嫌いじゃない」は人に対する評価として結構上位だと思うんだよ。そういう相手が自分の手の届かない場所に行ってしまうってそりゃあ悲しいし悔しいし虚しいわ。しかも直接的な原因ではないにせよ自分の介入でああいう展開に導いた部分があるのだから。)

・まとめ
 一見とっちらかっているように見えたり知識をひけらかしているだけに見えるような部分も多くあるのだが、それらはすべて主題を紐解くために必要な鍵だったのだと後からわかると確かにミステリーだ。ただそこに到達するために必要な前提知識の範囲が広すぎるためにこんなにアホみたいに長くなるのだな。
 京極堂が披露する数々の持論のなかで私が最も興味深いと思ったのは「犯罪の動機を根掘り葉掘り詮索することには何の意味もない」という話だ。生育環境等によって人の性質は左右されるから、"あちら"と"こちら"の境界に立ちやすいものと立ちにくいものがいることは私は事実だと思う。しかしそういう境遇や性質はあくまで"立ちやすさ"でしかない。「そこに立ってしまったときに、犯罪を本当に実行するかどうか決めるのは"通り物"が来るかどうかなのだ」という京極堂の観点は私にとって新鮮であると同時に妙に腑に落ちるものだった。「こういう境遇だったから、こういう性質だったから犯罪者になった」という命題が成立してしまえば、「私はそんな境遇ではないから大丈夫だ」とか「こういう性質のやつはみな犯罪を犯すに違いない」という思い込みを強化する材料にしかならない。しかし犯罪者は特殊な者だけがなるものではなくて誰もがなり得るものだからそんな風に線を引こうとするのは愚かな行為だという。美馬坂さんだってまあ加奈子に関しては理性的で"正しい"医療行為をしたのだとしても、最後には本来ならそこまでしなくとも生きていられたはずの久保を箱詰めにするまでに至ってしまった。京極堂曰く、それを狂人だからと切り捨てるのは楽だが間違いだ。「では彼が"向こう側"に行ったのはやはり陽子を愛してしまったことが原因なのか?」などとつい尤もらしい理屈を捻り出してみたくなるのだが、そんなことに答えを見出そうとする行為自体が無駄ということなんだろうな。
 何回も読み返しながらこの感想を書いているのだけど、何回読めばこの本の言いたいことすべてがわかるようになるのだろう。何にせよすごい本だこれは。 こんなに衝撃的な本は初めて読んだ。

 

 ここからは私の超個人的趣味にのっとって京極堂と関口くんの何とも言えぬ距離感について「いいな」と思った部分を書き連ねようと思う。

京極堂が関口くんを紹介するときに「友人—いや知人です」と言ったこと
 「友達じゃないですよ〜別に〜」とかいうポーズ 。類型としては「腐れ縁だよ」があります。友達じゃないとか言いながらなんやかんや世話しておるくせによ。

京極堂は関口くんの的外れな質問等に対して「馬鹿だなあ」とか軽蔑の眼差しで返すことが多いものの、決して「何も知らない馬鹿は少し黙れ」とは言わないでちゃんと説明してくれるところ(無視はわりとする)
 これは我ながらかなりバイアスがかかっている見方な気がしてならないが、私だったらいちいち話の腰を折られるのにイラついて「うるせえ」とか言ってしまう。まあ作劇上、無知な質問者に教えてあげるという体裁を取るのが早いというのが理由かもしれないが、私が楽しいので優しさということにしておく。

・関口くんが自分の単行本の掲載順を京極堂に相談に行く→関口くんの書いたものを全部読んでいる→まだ関口くんは何も言っていないのに掲載順を自分なりに考えていて「参考にするならしてくれ」とか言う→「余計なお世話だったら捨ててくれ」とか言う
 え!?や、優しい!京極堂の優しさが五臓六腑に染み渡るわ!このくだり大好きすぎて何回も読み返してしまう。しかも「素っ気なく」だの「ぞんざいに」だのしつこいくらいに書かれていてどう考えても照れ隠しだよこれは。しかも「余計なお世話だったら捨ててくれ」!?予防線!?日頃憎まれ口叩き合ってるのに急に優しさを垣間見せるのは反則ですわよ!関口くん自身すら気づいてなかった内面の表出を「読めばわかる」とか言っちゃうし……"わかって"るじゃん……"すべて"を……。これで友達じゃないってマジで言ってる?嘘だろ?

・関口くんは自分の小説に京極堂をモデルにした人物を登場させている
 ハ!?好きなの!?「幻想的な空間に終わりを告げる殺し屋」だぞ!?友人をそんなキャラに仕立てて自作に出してるなんて書く方も書かれる方もなんか恥ずかしくない!?この人たちは大丈夫なの!?読んでるこっちの顔から火が出る!

京極堂が関口くんの小説を僅かなりとも褒めた(初めて言われたらしい)
 さりげないツンデレパワーの発揮……やるな京極堂……。関口くん普段ぞんざいに扱われすぎてるからたまの優しさに戸惑ってしまってるじゃん責任取れよ京極堂

 今回は事件そのものは関口くんと直接関係ない物なので、物語が佳境に入ると2人の絡みはほぼなくなるんだけどやはりこれで単なる知人は無理がないかなぁ!?と言っても実は私は京極堂と関口くんの関係に恋愛を見出すのはあんまりしっくりこないんだよね。というか「恋愛や性関係で収まれたらどんなに楽だったろうね」と思う。この人たちは人生において感情交換や身体接触にそれほど重きを置いていなくて、言葉を用いることでしか繋がりをもてないのではないかという気がしてならない。前も書いたけど何で2人とも妻がいるのかが一番謎だし。恋とか愛とか情熱的な何かに突き動かされている様がまったく想像できない。関口くんは恋っぽいものはするだろうけど、それは破滅への願望とほぼ同じくらいのニュアンスだと私は思っていて、京極堂といるときの安寧とは程遠いのではないかと推測する。「関口くんが飼われている」と言うのが一番近いような……。

 

追記:京極堂の「犯罪は通り物」理論についての覚え書き

    とりあえずわかりやすいように殺人に限定して話を進める。対象が憎いとか邪魔だなどの動機が先にあって殺しに踏み切ると一般的には考えられているが、生きていて誰かに対して100パーセントの好感を抱き続けることは不可能なうえ、逆に好意的に思っているからこそ殺す選択肢が浮かんでくるのも人間の心のはたらきとしてはありうる。つまり動機というのはどんな人間の中にも常に存在し、いざ決めようと思えばいくらでも決められる程度のものでしかない。実際の行動に移す際の「今なら殺してもいい」と己に許した瞬間的なゆらぎを、自分や周りが納得できるように無理やり整えたものが動機と呼ばれるものである。単純に原因という意味ならば、人がもち得る全ての感情に加えてその瞬間の環境全てがそれを構成していると言える。仮に1人の人間が別々の時に同じ種類の感情を抱くことがあったとしても、他の要因が1ミリでも違えば実際に殺害には踏み切らない可能性が高い。だから「〇〇という感情・状況だから殺した」という理屈はあらゆる要素の中のほんの触り程度しか説明できていないし、その全てを説明することなど出来ようもないことなのだ。

    これは私も日頃から思っていることなのだが、頭の中でどれだけ不埒なことや物騒なことを考えていたとしてもそれを自分の身体を使って自分の責任において現実にすることとの間には通常とてつもなく巨大な壁がある。しかし京極いわく、一見堅牢そうに見えるその壁がふとした瞬間に消えて無くなってしまうことがあり、それをもたらすものこそが魍魎であると言う。壁を作るのは良心の呵責であったり罰への恐れであったり周囲への影響への懸念だったりといろいろだろうが、人は100%清廉であることが出来ないのと同じくらい100%悪辣であることも出来ない。だから皆許すべきだとかそういう話ではなくて、だからこそ罰というものは個々の感情や境遇に対してではなく実際に取った行動とそれがもたらした結果に対してだけ向けられるべきだということだ。