感想置き場

小説・ゲーム・稀に映画の感想置き場。ミステリーとBLとアサシンクリードが好き。

京極夏彦『鉄鼠の檻』感想

 私は百鬼夜行シリーズでこれが一番好きだ。大好きすぎて逆に感想まとめるのが遅れた。

 私の中では禅って仏教の中でも特によくわからない分野だなという印象だったので最初は身構えたんだけど、これを全部読み終える頃には何となくわかったような気になっている(気がするだけかもしれない)。十牛図の話とかめちゃくちゃ面白かったし「魔境を受け流すことこそが肝要」とかも「ほ〜〜なるほど〜〜」って感じ。
 そんで山の中の寺って露骨に"結界"だから不気味で怖いけど、何となく惹かれてしまう場所という感覚が昔から私の中にあったから、もう舞台設定だけでわくわくモノだったのね。そのうえあからさまにわらべ歌なんて登場させちゃって連続殺人と来れば、普通のミステリだったら問答無用で見立て殺人が始まっちゃうところだよ(まあ見立てていたことに関しては間違いではなかったんだけど)。そういう様式美も私は大好きだけどね。でも京極先生はそんなストレートな球投げて来ないだろうと思ったよ。

ここからキャラごとの感想

久遠寺老人
 今川は初登場だから油断してふ〜んって感じで読んでたら久遠寺老人登場まで来て「ん?久遠寺ってどこかで聞いたような……」って思考がよぎったんだけどそのときは思い出せなかったのね。後になって時間差で「……久遠寺久遠寺ってまさかあの久遠寺!?」ってなって脳天ビリビリ来たよ。姑獲鳥一回こっきりのゲストかと思ってたしそのときは女性たちのインパクトが強すぎて影が薄かったから、今巻で一番結界の外の常識を備えている"まっとうな"人として活躍しててびっくり。本当に家族の異変に気づかなかっただけの普通の医者なんだね……。
 でもよりによって榎木津礼二郎を呼ぶとかファインプレーなんだかそうじゃないんだか。読者、というか榎木津ファンとしてはめちゃくちゃありがたいんだけど。
 というか菅野だよ菅野!テメーのせいで(お母さんのせいもあるけど)涼子さんが壊れたっていうのにまた子供犯して薬物吸っててもうどうしようもねえな。以前の登場人物が出てきて作中世間のつながりを知れるのは嬉しいけどよりによってお前かよ!できれば会いたくなかった!
 でも久遠寺お爺さんが下手に同情したり共感したりせず、逆に菅野だけの責任にもせず自分も一緒に背負うって気概を示したのが救いだった。鈴子が犯されたのも惑わしたとか言わずに(私はこの点で仁秀さんが嫌い)完全な被害者と言ってくれたのもよかった。人の尊厳を守るという気がある人格者でよかった。
 小児性愛者の言うことを冷静な気持ちで聞くことは私にはどうにもできそうになく、怒りのせいで全てが言い訳屁理屈に聞こえてしまうために菅野の弁をちゃんと理解しているとは言いがたいのだが、「全てが脳髄の許す範囲内でしかない」というのはなんとなくわかった。でもそれ以外は駄目だ。菅野流に言えば私の脳髄が理解を拒否してる。わかろうという気が起こらん。

・山下さん
 好きだ……。前回の石井警部に引き続き警察官僚というのはだいたい保守的で見栄っ張りで頑迷というテイストで書かれていて、実際「ああこの人ダメだわ」と思わされるシーンが何度もあるんだけど、榎木津礼二郎と明彗寺という異世界の洗礼を受けてそれまで信じてきたものがいろいろ崩壊する様は見ていて同情を禁じ得なかった。益田くん含め部下全員に呆れられて白い目で見られるのとか哀れすぎる。実際それまでは問題なく仕事をこなせていたんだろうから、そういうセオリーがまるで通じない珍事件に行き会ってしまったのは完全に不幸である。
 しかし一度盛大に空振りして失敗して完膚なきまでに叩きのめされると不思議と目の前が開けてくることって結構あるよね。それがいわゆる"憑き物が落ちた"状態なのかもしれない。何を言っても本当のことから遠ざかっていく気がしてしまうってことは、裏を返せば何が本当のことかは言葉にできない領域ではすでに理解できているってことらしい。
 私は山下さんと常信様の会話がすごく好きで目の前がパッと開けたような気がした。 これが大悟ってやつか?すべてのものが最初から仏性をもっているんだけど迷ったり間違ったりもする。だからこそ「魔境は受け流し、ただ"成す"べし」か……すごいな……。ああ本当に言葉にすると何かが逃げていくようだ。山下さんの道が開けたと同時に自分の道も開けたような気がして清々しかったし、その後山下さんが坊さんどもに震えながらも毅然と対応するところなんて涙なしには読めなかった。「行けーー!山下さん!言ってやれ!」って応援せざるを得ない。

・坊さんたち
 私がこの『鉄鼠の檻』を大好きだと思う理由には、この坊さんたちの人間模様が面白すぎるから、というのが大きい。美形すぎの潔癖で四角四面な慈行様とか、座るだけで真理を体現するという祐賢様とか、檻を抜け出すために自分から檻を作っちゃう了稔様とか、「人を救わないでただ山に篭っていていいのか」という後ろめたさを他人に投影して勝手に恐れてしまう常信様とか、派閥に参加しない好々爺だけど実は結界の魔力に一番囚われていた泰全様とか、ものすごく徳が高い坊さんに見えていたけど実は禅師じゃない覚丹様とか。まず明彗寺自体が宗派ごちゃごちゃの小宇宙なわけでしょう。そんな混沌、面白くならないわけがない。
 まあ私の推しは祐賢様なのだけど(BLを愛しているから)、やってることはわりかし最低なんだがその最低行為は己の本心を認められない戸惑いと焦りの矛先が捻れちゃった結果なので「あちゃー……」と思ってしまうのである(小児性愛者に嫌悪むき出しにしておいて強姦未遂おじさんには寛容なの我ながら辻褄合ってねえなと思う)。

 しかし人が無意識化で否定していた本心を受け入れて自分の気持ちに素直になれる瞬間を見る感動は他の何物にも代えがたいわね。京極先生は同性愛者が絡んでも茶化したり無駄な異性愛規範講釈垂れたりせずに淡々とマジレスするところがいい。
 僧たちが明彗寺から出たがらないの、最初は大麻を栽培している秘密を隠すためかと思ったけどやっぱりそんな単純ではなかったね。物理的な原因じゃなくて自ら望んで心に檻を張っているというのが非常に興味深い。抜け出すための檻をわざわざ作るって聞くと変な感じだけど、時間の例えにもあるように「解放」は抑圧するものが無くては存在し得ないものなんだよね。

榎木津礼二郎
 もうなんかね、この人が出てくると安心感が半端じゃない。やること成すことむちゃくちゃなんだけど絶対結果的には正しいし負けることがないから(既存のフィールドで勝ち負けを論ずること自体が的外れというか)。
 「関口が死刑になろうが楽しいだけ」とか言いながら「死んじゃったらいい怯え方が見られなくなる」とか言い出すのマジ魔王(のちに自分で第六天魔王を名乗っている) 。いじめっ子。ガキ大将。
 それにしても英生くんと祐賢様のくだりはなぜかわからんけど妙に感動しちゃったな。榎さんは人命救助に長けた人だけど久遠寺老人みたいに何に差し置いても命が第一ってわけではないっぽい?英生くんが祐賢様とおそらく托雄くんのために黙ることを選択したときはそれを尊重するっぽい態度だったし。

 しかし何冊読んでも榎さんの行動原理はイマイチよくわからないな。まあ神だからしょうがないか。
 佳境に入るとひょっこり出てきて「京極一人では荷が重かろうと思って待っていてやった」「心遣いに涙が出るよ」っても〜またお前らにしかわからんところで通じ合って……勝てねえわ……(何に勝つんだ)。

・京関(もうセットでいいだろコイツら)
 まさかの 旅 行 回。コイツら……初っ端から見せつけてきやがる……。

 まず「ごめんください」も言わずズカズカお互いの家に上り込む仲だからね(姑獲鳥の「いつまでいてくれたって構わない」も参照)。気安い〜しかも学生のときも休みの度に旅行〜へえ〜仲良し〜。

 コイツらの学生時代超見たいな……三人一堂に会する機会って本編だと意外と少ないからな。
 それにしても妻のこと失念するとか関口くん……逃げられても知らんぞ。雪絵さんはなぜこの男と結婚したんだ(100回目の疑問)。
 しかし「文豪は旅館で長逗留するものだよ」とか言われて旅行する気になっちゃう関口くん死ぬほどチョロい。

 まあ肝心の京極堂は私の期待を見事に裏切り(初めから叶うとは思っていないが)、一人雪山で古本にかじりついているのがお好みのようだったのだけど。
 というか京極堂、猫にまでツンデレ発揮しててかなりウケた。「餓死するだろう」とか澄ました顔で言っておいて死んだら悲しいとかまんま関口くんへの態度とおんなじである。やはり関口くんはペット枠なのかもしれない。京極堂は山内さんにも彼の話してるっぽいし実はいろんなところで愛のある悪口ばらまいてそう(聞かされる方には半分ぐらい「知らんがな」と思われそう)。
 関口くんが京極堂のやり口を「悪魔的な親切さ」と形容するシーンがあるのだけどあまりにも的確な表現で笑ってしまった。言葉そのものの意味を完全にはわからなくても、何となくわかったようにさせるスキルが異様に高いんだよね京極堂は。気づいた頃にはもうとっくにヤツの掌の上なの。でもマーラとか呼ばれてるのは流石に吹いたな。
 唯心論とか織の話になると私にはほぼちんぷんかんぷんだったのだけど関口くんだけは京極堂に食らいついていて流石だなと思った。伊達に長年友人(知人)やってないわ。

・総括
 京極堂が禅を苦手と言ったことの意味が他の巻を読んだ後だとかなり腑に落ちる。彼は邪魅で「言葉は嘘です 言葉で作られた世界は嘘のものなんです」というようなことを言っている。
 私の体感では"わかった"瞬間というものは脳裏に閃光のように突如現れるもので、それを言葉にして初めて輪郭が与えられて手に掴めるような感覚を抱けはするのだけど、同時に言葉にすればするほど本質からは微妙にずれていくような、どれも本当のようでどれも偽りのような感覚に陥ることがある。禅というものはその閃光のように現れる"真理"をそのまま"存在"としてあるがままに受け入れる(内と外がある時点でまだ"至れてない"から厳密には違うのだけど)生き方なのだろうという風に私は理解した。だから嘘の言葉を嘘と知りながら操る京極堂の手法では禅に対抗するのは難しいのだな。
 私がこんな風に感想を書き起こしているのも、脳の上の方ですでに"わかって"いることをわざわざ言葉の領域に落としてきているだけの行為なんだろうな。本当はこんなことわざわざ書かなくたって"わかって"いるんだよきっと。でもただ"わかって"いるだけではなんだか不安だから言葉という輪郭を欲しがる。でもその輪郭はやっぱり本質とは微妙に違っているんだよ。
 今回京極堂がしたことは結界の綻びを突いただけであって禅そのものと対峙したわけではないんだな(そんなこと自体不可能みたいだし)。だから犯人も"悟れなかった"者だったし慈行様も空っぽだったのかな。真に悟った者が相手だったら勝てなかったのか。でもこれ仁秀老人には勝ったとは言えないよなあたぶん。鈴も助けられなかったし。総合的にはやっぱり負け戦だったのかな。
 しかし成長しない童の謎が、まさか一番ありそうにないと思えた「愛情不足のせい」だったなんて、そんなのあり!?ってなった。 事実は小説より奇なりかよ(これ小説だけど)。
 それにまたミステリあるある兄妹間の近親愛かって思ったけど、鈴子周りは最後彼女らの死体も残らなかったこととか含めて全体的にゾクッとする要素担当みたいなところがあったね。
 犯人の動機が「自分は至れなかった真理に他の人が辿り着いてしまったことへの嫉妬」って意外と俗っぽくて肩透かしという感じではあるが、"至れなかった"者の選択としては案外そんなものなのかもしれない。いやでも仁秀老人がそれだけの人だとは思えないんだよな。言葉そのままが事実とは到底思えない。わからんわやっぱり。
 でもすっごく面白かったな〜何度も読み返したい一品。