感想置き場

BLとアサシンクリードが好き

『SUPERNATURAL』Season11~12感想 

-Season11-

 辺獄で会話したときのルシファーとサムのやり取りは全部興味深いんだけど、ルシファーがS5のサムの決断力やら大義のために身を犠牲にする志やらを正しく評価してくれていたのが意外というかなんというか……。アメリアと一緒になろうとしたことと結局ならなかったことのどっちを責めてるのか最初はわからなかったけど、大義よりも「普通の生活」とか言って自分の心の安寧を取ったことを責めてるんだよなやっぱり。「あの頃は強かったけど今は腑抜けになってしまった」とかそんなん気にするんだ。意外とよく見てるんだな……。
 キャスがルシファーを入れようと決断するに至った過程がいまいち納得できてなくて、消耗品って言われたのそんなに気にする?ディーンはそんなこと思ってないのは明らかなのに?と思ってたんだけど、その単語というよりも「最終的にやり遂げるのはディーンとサムであって、自分は手助けしているだけだから大して重要な存在じゃない」というところに引っかかっていたのか。
 檻から出られた後自然を楽しむルシファーが、川を見たあとに口笛で吹く曲が「川に集まろう」とかいう讃美歌で「こいつ腐っても天使なんだな……」と思わせる細かさがすごくいい。S5の時点で、人間を滅ぼしたいだけで地球のことは美しいと思っているようなことは言ってたし、川や植物を見てる時の様子から見ても本当に自然が好きなんだろう。
 一応キャスのふりをしてサムの命を心配するようなことを言ってたルシファーが「もうバラしてしまおう」という考えに至ったのって、自分の言った通りサムがディーンを救うためなら何でも犠牲にするほど弱くなったという実例が目の前に来て「ほらこれだ」ってなったのと、自分が演じていることにも気づかず無邪気に「キャスを信じる」などと言うサムの馬鹿さに笑うしかなかったのと、そもそもそういう愛情や友情のノリ全部が馬鹿馬鹿しくなったのと色々あると思う。しかし、「アマラと繋がっているのはディーンなのに、なぜ俺はお前を見逃そうとしてきたのだろう?それはお前がプロムで私を断り続けた女の子のようだから」って、プロムで断わり続けた女の子に対する感情ってどんな?吹き替えだと「断られるほどどうしても落としたいとムキになる」って言ってたけどそれかな?
 今のディーンならサムが死んでどうするのかなと思ったら、普通に睡眠薬自殺で死神呼び出して「サムを戻して自分を代わりに連れて行け」って全くブレてない。喜ぶところか?
 正直ルシファーが出る部分以外はあんまり面白くないけど、逆にそこは全部最高に面白い。見たかったものを見せてくれてる。S5の頃からすればルシファーのカリスマ性はだいぶ減ったけど、檻の中にサムをおびき寄せた手腕は期待通りだったし、サムとディーンに簡単には降らない所も良かった。ウィンチェスターとキャスを同時に相手にして完全に圧倒する強さもいい。悪役が味方になると毒気が抜かれて個性(魅力)を失った都合のいい存在になる懸念はずっとあったけど、今のところそこまで悪くは無いな。単純にルシファーの出番が多くて嬉しい。しかしミカエルが檻の中でミュージカル曲を歌いながら自慰してるってのが本当だったらショックだわ。ミカたその掘り下げもっとしてほしい。
 メタトロンが神に対して人間の素晴らしさについて語るのは「お前そんなキャラだったか?」と思ったけど、彼が神のために尽くそうとするのはスッと腑に落ちた。なにせ誰もがあれほど待ち望んだ神が目の前に現れてしまってるんだから。メタトロンだって今は人間でも、天地創造の時から天使だったものが神を忘れるなんて出来っこないし。しかもメタトロンは自分が本当は矮小な存在だということをよくわかっているからこそ注目されたくて必死だったわけだから、たとえ偶然でも神が自分を選んでくれて、自分だけに聞かせてくれる言葉があって、それで「神の書記」と名乗れたことがどれほど彼にとっての誇りだったかはよくわかる。「あなたの光が私を照らした」に全てが詰まっている。これはS11で一番の名台詞かもしれない。それに遠くにいる間は気にしてなくてもいざ相手を目の前にすると思い出す気持ちとかはあるから。
 メタトロンも言っていたし、この回のオーディオコメンタリーで「『人間は諦めない』というメッセージを発してる」と言われてるけど、私はそこら辺はマジで興味が無い。「視聴者は自分たちのことだと思う」って、そういう人も多いだろうけど、少なくとも私はそれで励まされたりはしない。諦めないことで絶対に解決できるのはそれがフィクションだからで、作者は解決可能な出来事しか起こさないんだから当たり前だ。視聴者がエンタメとして許容できないほどの不快感は創作の中では存在を許されない。私がSUPERNATURALに惹かれるところも期待するところもそことは全然違う。愛ゆえに発生する葛藤や苦しみや痛みに傷つき疲れ果てて、時にはその愛を投げ捨てて楽になりたいと思ってもそれでも愛してしまうこと、その愛を失えないし失いたくないという気持ちを描いていると思うから。だからこそ神に対するメタトロンの気持ちをこの回で聞けて、彼に対する評価がかなり変わった。愛しているからこそ憎くなるし、期待してしまうからこそ対面すると文句ばかり言いたくなるけど、それでもその気持ちを捨てられない。それが愛だから。
 しかしメタトロンの態度とかを見ていると神が被造物に嫌気が差すのも全くわからないわけではない。下々の者の行動で何が起きても「あなたのおかげ」か「あなたのせい」になるし、誰も彼もが跪いてお世辞しか言わなくなるし、自分のやることすべてに過剰な意味を見出されて、気まぐれにやったことですら「あなたに存在を認められた!」と言われたりする。特定の人の祈りを聞いて一度介入したら今度は「神に選ばれた存在」という肩書が地上に生まれて、それを理由に新たな争いが起こると思うとちょっとうんざりするかもしれない。「どうして僕になろうとした?」「気を引きたかったから」「誰の気を?」「あなたの」ってメタトロンのやり取りでチャックの笑顔が消えるシーンが良い。みんなあなたのことが本当に好きなんですよ……ってなるし、自分が背負える以上に人々から想われることの重さも感じられる。
 ルシファーがアマラに「俺と組んで神への恨みを晴らそう」とか言ってたくせに最終的には「彼を讃える気は無いが、お前は彼にはなれない」になるのが愛憎を感じて好きだし、神の方もメタトロンには「ルシファーは悪党じゃない」と言ったのと同じ口でディーンには「少しでも信頼したら檻になんか入れるか?」とか「今はもっと悪くなってるだろう」とか言ってるのが愛憎で好き。実際ルシファーがアマラと組もうとしたところはほとんど当たってるんだけど、「お前は彼にはなれない」の方がルシファーの根本で、全ての憎悪や矛盾は結局愛から来ているってところがたまらなくいい。
 神に対するルシファーの望みが「謝ってほしい」なんて、アポカリプスに比べれば意外なほど無欲なのも興味深いし、サムが何の因果かルシファーに肩を貸したり話し合いで味方をする図になってる皮肉も最高。
 S10を見た時はあまり理解してなかったんだけど、ルシファーが堕ちた原因となった嫉妬心が刻印のせいだって死の騎士が言ってたのか。でも神が言うには、刻印は元から持っていた感情を増幅しただけらしい。外部からの影響で仕方なくとかでなくて、ルシファー自身から来ている方が圧倒的に好きだからよかった。なぜかと言うと、激しい嫉妬とは激しい愛を持っている証拠みたいなもので、つまりそれによって自らの身を焼くほどルシファーの愛が大きかったということになるから。感情のパワーというものは振り切れれば振り切れるほど魅力的というか、超常の存在だからこそ持ち合わせる純粋で剥き出しの感情を感じたい。
 神がルシファーに対して何て言うのか全く予想できなくて固唾を飲んで見てしまったんだけど、英文見る限り、本当は創造物のことは平等に愛すべきで、誰かを特別視するようなことをしてはいけなかったけど、それでもルシファーは最も可愛がった息子だったということか?特別に愛していたからこそルシファーに刻印を任せて、彼なら理性を保てると考えたけど、その選択が間違いで最愛の息子を蝕むのを見たとき、自分を憎み、その延長でルシファーを罰したと。しかし神に「耐えられると信じたから刻印を渡した」と言われて、ルシファーの方が自分のふがいなさにバツが悪く感じるという手法には感心した。"most cherished son"はルシファーにとってキラーワードすぎる 。
 ルシファーがウィンチェスターに「聞いたか?神が父親で、それと議論するのがどんな感じかわかるか?」と言ってるところ、何度見ても因果の妙を感じて最高。あのルシファーが人に共感を求めている!しかしサムの言う「謝るというのは時として謝るだけなんだ」っていうのはかなり金言だと思う。ディーンの「嘘でもいい」は違うと思うけど(特に今のルシファーには嘘じゃダメだろ)そうではなくて、謝るという行為そのものが目的になることはある。結果として果たされないことがあるとしても、そこに申し訳ないという気持ちが存在しているという事実が重要なことがある。
 神と話し合いが終わった後のルシファーの憑き物が落ちた顔がすごかった。
 神曰く「"存在"は神の手から生じた者ではなく、最初からそこにあって生まれるのを待っていた」だって?聞き捨てならない新解釈。神という存在をどう言い表すかは相当難しいと思うけど、つまりこの世界のあらゆる"存在"を生み出したもので、あまねく場所に存在し、知らないことは無く、この世の良いことも悪いこともすべて神が「そのように決めたから」そうなってるんだと私は思っていた。でもこの"神"はただそれらがこの世に出てくる手助けをしただけで、”存在”の根本を創り出したわけではない?そうだとしたらかなり色んな解釈が変わってくるぞ。
 神が消えれば宇宙が消えるのは当然理解できるけどダークネスが「私も含めて」とか言い始めてわけがわからない。じゃあ今までのは何?神に復讐するはずじゃ?つまりは最初から心中ってこと(見返したら殺すというより痛めつけて思い知らせたいだけだったらしい)?そうしたらそれを受けたディーンが「本心では独りが嫌で、弟を求めてる」とか言い出してさらに驚愕。「本当に望んでるのは俺じゃない」「本当の望みは何だ」って急に好みの展開が来て驚いた。ダークネスの弟に対する感情「私がいるのに他のものを求めたお前を憎んだ」!!??急に愛が重すぎる!光と闇って神とダークネスだけじゃなくてディーンとサムにも当てはまってて、ダークネスは自分を蔑ろにした神の代わりに同じく光としてのディーンを欲しがっているってこと!?確かにディーンを気に入ってる時点で神の創造物を気に入る余地があるってことだよなとは薄っすら思ってたけど!ダークネスがディーンに愛着があるのは単に解放された恩かと思ってたけど、弟の代わりだったの!?その方がただの人間を特別扱いするより説得力があるかもしれないけど弟に対する愛が重い!
 しかしどちらかが欠けると光と闇のバランスが壊れる→神が死にそう→ならダークネスの方も殺せば均衡は保たれる、もなかなかの超理論だと思う。そこまで影響力の強いものがゼロになってなんで地上に影響が無いんだ。
 ダークネス、母さんを生き返らせて贈り物とか言うけど人を簡単に生き返らせるんじゃない!死が軽くなるだろうが!ものすごく今更だけど!でも母さんとかぶっちゃけ役目を終えた人間だと思ってたから今更出て来られてもあんまり嬉しくない。「思い出の中でじっとしててくれ」って言葉はこういう時に使うのかな。
 ダークネスの語感がすごくホビーアニメっぽいとか、世界を壊した後どうなるかがふわふわすぎるとか、「光と闇はどちらが欠けてもいけない」とか、強大な敵を前にしてかつての敵同士が協力するとか、展開がどうにも安っぽいしどこかで見た感満載だけど、演者の力量で面白くなってる感じ。S10が面白かったのはクラウリーとディーンの関係の変化とか、サムのディーンに対する感情とかいろいろ見どころがあったからで、刻印の設定が面白かったわけではない。だからS11はずっとつまらなかったけど、最後の最後でダークネスと神の感情濃度が急増したから最終回は良かった。メタトロンと神、ルシファーと神との感情の辺りも食い入るように見てしまったくらい良かった。神の前だとルシファーは完全にクソガキだったし、和解の後なんて完全に牙抜けてたけどそれもまた良かった。だって神こそがルシファーのあらゆる行動の理由なんだから。

 初見では神とルシファーとメタトロンにばかり注目してしまったので、サムディンに関してS8からずっと続いている「互いを救うために大勢の人を犠牲にするのは正しいのか?」という問いの答えがどうなったのかに注目して二回目を見てみた。「S8のラスト:サムが死にかける S9のラスト:ディーンが死んで悪魔になる S10のラスト:サムを殺さなければならない」のすべてで結局世界よりもお互いを選んできたわけだけど、そこからS11ラストの魂爆弾まででどんな心変わりがあったか。
 初回でディーンの「タイムマシンがあったらお前がダークネスを開放するのを止めに行く」という発言があって、それが「刻印を取り除く儀式を止めさせる」という意味ならいつも通り自分が犠牲になって世界を守る気でいることになるが、それに対してサムが「自分たちを救うのと大勢の人を救うのを両方するんだ」と返していて「ああなるほど、そういう方向に向かうんだ」と感心した。
 ……したんだけど、ルシファーに再会して言われた「ダークネスを本気で倒したいなら自分や愛する人が死ぬ覚悟をしなきゃならない」でまた元の位置に戻ってきた。S8からずっとそのテーマで来てるのに、結局身内を犠牲にして世界を救うんじゃ振り出しじゃないか。というか理性ではわかっていてもいざその局面に立つとどうしてもできないから、こんな何シーズンもウダウダしてるんだからね。
 次にその件に関係してくるのは人狼に捕らわれた一般市民を助けてサミーが殺された時。サムを生き返らせること自体はそうすることが世界の危機に直結するわけじゃないから良いとしても、ディーンが死んで代わりに行くのでは今度はサミーが蘇らせるために何でもするだろうというループは変わらない。世界のためということを考えれば「ディーンにアマラを倒すことは出来ないから世界を救うためにはサムが要る」は正しいように見えるが、この時のディーンは死神に指摘されているように世界のことなど本当は気にしていない。結局ディーンは弟がいないと生きられないから、自分が生きている以上は戻す以外の選択肢は選べないというだけである。つまりこの話ではほとんどこの件に関しては進展していない。
 次はキャスの中に入ったルシファーを追い出すべきかそうでないかという口論の時。ここでディーンは「家族なんだから当然連れ戻す」という意見。前回のことといい、彼の中ではもうS10のラストで最終的な結論は出たということかもしれない。一方でサムは「家族だからこそ本人の意志を尊重するべきだ」という意見。おそらくルシファーの提言が影響していると思われるが、こっちもシーズン当初で出した「自分たちも世界も両方救う」論は跡形も無くなっている。あれ?今までのくだりは何だったんだ?
 そして結局キャスはディーンが呼びかけても帰る気は無いということがわかって、ディーンも「あいつの意志なんだ」と納得する……というところまでは理解できたのだけど、その後の「片方が賛成しない選択をもう片方がするとしても邪魔しないと誓ったよな」という台詞にびっくり仰天。そんな話いつした?本気で覚えがない。主題に関係ないと思って早送りした中に入ってたのか?それとももっと前のシーズンの話?この発言が想定外すぎて完全に検証の道が途切れてしまった。まあその発言は置いておいても結局身内を犠牲にして世界を救う感じ?それってただのS5じゃね?あれ?今までのくだりは何だったんだ?「お互いを救い合っても結局何にもならなかったよね」ということでいいのか?
 これだけ長らく引っ張ってきてどんな結論を出すのか一生懸命追いかけてきたのに新しい道も何一つ見出されずに結局S5に立ち戻るってマジ?それならS10の時点でこの話題は終わっておいた方が良かったんじゃないか?最終的にはディーンは死ななくて済むわけだけどそれって結果論だしな……と思ったが、神が世界を創るために身内を犠牲にするという選択をしてしまったのが始まりだから、神とダークネスが和解できたことが「どちらかを犠牲にではなく2人とも生き残る」道があるという示唆なのか?

-Season12-

 キャスとクラウリーの組み合わせ、見るだけで私の中の何かが助かる。
 ルシファーくんの「愛されたいからロックスターやる!(ギター弾けない作曲できない)」の格下げ感すごい。崇拝されるならせめて実力でやんなさいよ。これで本当に未知なる音楽の才能をもっていたとかなら面白かったのに。いやルシファーが音楽に触れる機会とか無いんだから当たり前なんだけどね。でも「愛の証明として血を捧げてみせろ」と要求するのは彼の性格的にわかる気がする。しかしルシファーは確かに反逆者だけど、だからこそ崇拝されてもいただろうに人気者になりたいとは……。「自分の意志を貫いて何が悪い?嫉妬の何が悪い?」って彼に共感する人はいつの時代もいるのに。それに正道を知るからこそ邪道に進み、逆に邪道に進んだからこそ正道の価値がわかるということもあるし。というか少なくとも堕ちる前は神にもミカエルにも愛されてただろ!この間だって最愛の息子っていう称号をもらったばっかりなのに!?(と思ってたら、そう言ったくせに神が今度はアマラと一緒に出て行ってまた置き去りにされたからだった。そう考えると和解後に神にべったりになるルシファーはちょっと見たかった)
 ルシファーが愛されたかった子供というのはその通りなんだけど、同時に超常の存在であることも重要な要素だから、人間の尺度のみで図った「子供あるある」だけで終わってほしくない。彼らが人間とは違う存在だからこそ人間とは違う受け取り方をするし人間とは違う理屈で動くってのがもっと欲しい。もちろん人間との共通点もあるけど。
 カスティエル……ついに守る対象がウィンチェスター家全員に……。自己犠牲しがちな彼らのことを他の何よりも思いやってくれる存在がいるのはものすごく嬉しいんだけど、あなたそうやっていっつもボロボロになって……。宇宙規模のツケが回って来るって言われてんのに……。
「良い父親になれる」って言われて「閃いた」みたいな顔するルシファーホント草。「自分が父親になればいいじゃない」じゃないんだよ。「創るのは初めてだ」じゃないんだよ。ルシファーのクソガキ化が止まらない。
 ルシファーが「よだれを垂らしたミカエルと檻の中にいるよりはマシ」と言ってたけど、それが本当だったら確かに本気で見たくない光景だと思う。だってルシファーにとってのミカエルは、自分を育ててくれて、自分のできないことを全部出来て、いっそ崇拝と言えるくらいに愛していた人で、だからこそ一緒に来てほしいと願ったけどどこまでも正しいからこそ来てくれなかった人だから。そんな人と仲違いして憎み合うことになるのは悲しいけど、受け入れられないわけではない。でもその完璧な兄が壊れて見る影も無くなっていく姿を見る辛さはそれとは全然違う。
 クラウリーここまで圧倒的に勝利を収めたのは流石に初めてじゃない?しかもルシファーを相手に!今は珍しく小物臭くない!……と思ったけど、やっぱダメだわ、ルシファーとは根本的に器が違う。クラウリーはどこまで行っても名声にしか興味が無いというか、何かを成した結果の名声じゃなくて「名声を得ること」自体が目的で、もっと言えばその名声というのも「尊敬や恐れの目で見られる(内心で馬鹿にしているかどうかは不明)」という表面的なことだけだから、何をしても器が小さく見える。一時的な盤面操作で王座に着いてもクラウリー個人を好いてる人が誰もいないから、情勢が不利になれば即寝返る人しかいない。この辺りはメタトロンとまったく同じで、本人も自分がそこまでの器ではないと内心で気が付いているからこそ煌びやかな称号を求める。本当のカリスマは褒められようが貶められようがその存在は揺らがないから、誰にどんな風に呼ばれるかなんて大した問題じゃない。S10まではクラウリーのことを十分推しと言えてたはずなのにS11から急にその良さが感じられなくなってしまった。でもミカエルの槍の回で帰ったように見せかけてラミエルに直談判してたり、貴重な槍を破壊してキャスを助ける義理は全く無かったのに助けた所とかは普通に好き。人間味というか良心との狭間で揺れる男好きだから。ルシファーが床を舐めててもそこまで惨めな感じがしないのは、何か考えがあるんだろう(あってほしい)という気持ちと、最終的な勝利のためなら一時的な屈辱は看過するくらいの器を感じる(これもそうであってほしいという願望込み)からかな。何というか、クラウリーは床を舐めさせられることをガチで最大の屈辱と思ってそうなところが……小さいんだよなスケールが……。
 キャスはもはやウィンチェスター家に全てを捧げる勢いだったし、かなりギリギリまで死に近づいてた時に「君たちに出会えてよかった」と言ってる辺りまでは一貫してたのに、突然天界に帰りたくなって本当の家とか故郷とかに心動かされてるってどういうことなんだ?昔のキャスなら二人に求められたら何もかも放り出して飛んできてた(今は翼無いけど)のに?と思ってたら、ウィンチェスターには母子を殺せないだろうから私がやるってことか。二人を守りたい気持ちもあるし、これまでの失敗に次ぐ失敗で自信を喪失して、兄弟無しでは何も出来ない自分が嫌になっていたからというのもなんとなく理解できた。……って納得してたのに殺らないんかーい!お前マジでディーンに蹴り入れられた方がいいぞ!?二人を振り切ってまで来たんだから徹底的にやらんかーい!失敗ばかりってお前学習しねーからだろ!?
 危険だけど恩寵を抜ければ母子の命は助かるかもという申し出を断って、子供が「特別な子」でいることの方が重要なのが最高にキショくてケリー無理かも。自分の子供が“真っ当”に育つという根拠の無い自信(というかただの願望)で「壮大な計画があるのかも」とか言ってる時の完全にイッちゃってる目が無理すぎる。単に「生まれた瞬間の子供は善でも悪でもないから善の方向に導く存在が必要だ」って路線だけならここまで反感抱かないのに。でも善に導く存在と言われたらキャスしかいないと思うその判断は支持する。人の話は聞かないし暴走するし失敗するけど、キャスがずっと善であることは変わりないから。
 ルシファーのガキに気に入られるキャスは正直面白いけど、行くなら三人一緒に行け―!行き先が天国だろうと地獄だろうとそれ以外だろうと三人一緒に行けー!キャスが自己嫌悪の果てに父性(最後まで見たら父性というより献身かなと思った)に使命感見出して死ぬようなことになったら一生恨む。S10までの思い出を胸に生きてやる。命捧げるとか軽々しく言うんじゃねえ!お前が命捧げて良いのはディーン・ウィンチェスターのためだけだ!キャスの「ずっと迷っていたけど、もう迷わない。信じられるものがある」のところだけ見たら無性に殴りたくなって困る。現実でもそうだけど、新しい命がとか未来がどうたら言う時だけラリる人多すぎ。これだから子供が希望扱いされる話って嫌いなんだよ。勝手に期待抱かれて生まれさせられる側にもなってみろ。これはお話だから「子供も生まれたがってる」みたいな話の運び方をされるけど、このスピリチュアルは現実でもガチで信じてる人がいるから厄介。誰かの願いを叶えるために「きっと上手く行く(根拠無し)」とか言われても、そのための努力や代償を払わされるのは当の子供の方。思えばこのシーズンがつまらなく感じるのってテーマが母みたいだからかも。ウィンチェスターはその辺りあまりラリってる感じがしなくてよかった。これで兄弟まで同調してたら不愉快すぎて死んでしまう。キャスがルシファーの子を産まれるべき存在とみなした理由が「誰も苦しまない楽園を彼が創造するから」って言ってたけどそんなの人間が人間である限り可能なのか?「そんな平穏はケツの穴にでも突っ込んどけ」ってS4ディーンの幻聴が聞こえてしまった。
 UKの賢人たちを信じた理由をサムが「自分で率いるより楽だから」と言っていたけど、もしかしてこれから先、サムが人を率いる立場になっていくということ?実際ハンターたちに対する演説はなかなか迫力があった。ディーンが自分は残ってサムを送り出すシーンを見た時、何というか「この二人はもう大丈夫だな」と思えた。怪我のせいもあるけどディーンはディーンの出来ること、サムはサムの出来ることをして、離れた場所にいても信頼しているから任せられるという感じがする。
 最終回で普通の天使の剣なんてルシファーには効かないのわかってるのにキャス何で来たんだよと言いたいけど、ルシファーに直々に殺されるのならそこまで酷くもなかったな。それもS13でちゃんと蘇生されるってわかったから言えることで、死んだ瞬間を見た時は逆に平静だったけどこのまま本当に死んでたらどうしようとこっちも生きた心地がしなかった。キャスが死ぬのは初めてではないけど、次のシーズンでは生きてることを知ったうえで毎回見てるから大丈夫なのであって、リアルタイムなら放心してたと思う。クラウリーが死んでもそこまで悲しくないのは、死ぬことを知ってたのもあるし、最近の小物化が著しかったのと、ずっと地獄の王座に着いたり戻ったりしてるばっかりでマンネリを感じてたから。自分が玉座に向いてないってことにクラウリーがようやく気付いたのはちょっと面白かったけど最後の言葉が「Bye boys」って簡潔な辺りがらしくていい。
 しかしメアリーにクソほど興味がないうえにハンター同士の諍いとか所詮人間だし……と思ってしまってシーズン全体を初見ではほとんど飛ばしてしまった。キャスやルシファーが出るところだけ先に見た。二回目は最初からヒューマンドラマのつもりで落ち着いて見たからそこまで悪くはなかったけど、そもそも超常の存在との関わりを期待して見てるわけだから……化け物が絡まないベベルとケッチの派閥争いとかガチで興味ない。ミックだけは兄弟ともキャスとも違うタイプの良い人で、良心と規則の間で葛藤する姿も良かったから新しい人間関係として期待したけど、良い人だからこそ早々に死んでしまって残念。クソつまんない賢人関係でもミックの部分だけは良かった。もともとは優しい人間だけど疑問を持つことを許されなかったというバックグラウンドがあり、元々優しいからこそウィンチェスターに感化されるという筋道が通ってる。ケッチとの関係も「友達というより生き残った者同士」という独自の関係性で、ミックの失敗をケッチが庇ったりはしない所からも過去があって今に連続しているという感じが出てる。
 ケッチは自身がいわゆるサイコパスだとわかっていて「自分にそういうの(親密な人間関係とか)は無理だ」と言えるキャラなのは悪くないかと思ったけど、結局メアリーに対して特別な感情をもっているから「ハイハイいつもの」と思ってしまった。悪いとまでは言わないけど、なんというか……普通なんだよ……メアリーが洗脳されるのも、その解き方が心の中に入って説得することなのも、ディーンがケッチに殺されるかというところで正気のメアリーが割って入るのも全部普通。捻りが無さ過ぎて何も驚くようなことが無かった。ここでしか見られないものを見せてほしいなあ……。
 特典で「ベベルとミックとケッチの過去エピソードの構想はあったけど削った」と言われていて、そこを削るからあいつらに感情移入できないんだろ!と思った。予算とか人員とか手間とかあったとしても。ミックは過去エピがあったから、兄弟とは違う形で賢人になったからこそ違う価値観をもっているといういう説得力が湧くんだよ。彼らとの関わりがウィンチェスターにどんな変化をもたらしたかってのが薄いし(一応サムにとっては「人に任せるより自分が率いた方がいい」という教訓になったけどそれだけ)アバドンの外の人の過去回でも顕著だけど「過去にこういうことがあった」の羅列でしかなくて感情が足りない。

・クラウリーの話
 特典で「クラウリーは自分に能力が無いと思ってるけどあると思われたい」と言われていたが、少なくともS9辺りまでの策士ぶりは十分実力が伴ってたと思うのだけどいつの間にそういうことになったのだろう。
 確かにルシファーやらカインやらアバドンやらに比べたら純粋なパワーでは劣るかもしれないけど、契約の悪魔として独自の美学をもっていて全然見劣りしていなかったと思う。
 人間性を得た時に悩んだのはウィンチェスターを殺したくないと思っている(仲間を欲しがってる)自分との葛藤であって、まあそのせいで地獄の王としての立場が危うくなったと言えばそうなんだけど、それが「見栄だけの小物」と言い切られてしまうと今までの有能ぶりが無視されているようで嫌だ。
 確かに圧倒的な力さえあれば余計な策略はいらないのだから「能力が無いのが問題」は正しくはあるのかもしれない。しかしクラウリーの「知らないことでも知っているように振舞う」態度はちっぽけな自分を大きく見せるためと言うより、相手を手玉に取る戦術の一つという認識だった。自分が手を出せる領域と出せない領域を的確に見極めるのも実力の一つだろう。それが小物的解釈だけに偏るのは納得がいかない。
 特にダークネスの辺りからだんだんアホ化が顕著になっていくのだけど、悪魔ディーンすら手に負えなかったのにダークネスを制御しようなんて無理なのがわからんのか?というのがアホになったように見えるポイントとして大きい。人間性のせいで失墜した部下からの信用を取り戻すためにデカい一発をかまさなければという考えだったのかもしれないけど。 
 S9の元始の剣の時は、ディーンを友にしても管理するのは自分という気概があった。その時点で人間の血は入っているはずだから、人間性だけが問題ならもうアホ化していないとおかしいけど、その時はまだ狡猾な部分は残っていた。やっぱりロウィーナが分岐点か?サムディンに対して態度が軟化するだけだったら長い付き合いだし家族に関するディーンの助言を受けた恩もあるから納得できるのだけど、権力争いに全振りするならもっと彼は賢いはずだろうと思った。
 そしてさらにS11のクラウリーがつまらない存在になっているのは、10まででせっかく積み上げてきたディーンとの関係の変化がアマラを得たことで振り出しに戻ってしまったからか。しかしたとえ馴れ合い路線を捨てて地獄の王としての道を取ることになったとしても、葛藤の末にそれを選んで貫いてくれるなら寂しいけど面白かったかもしれない。しかし結局アマラはすぐに出て行ってしまうしディーンを殺すこともなくて、数話後には普通に会話してもうただの便利屋になっていて、今までのくだりは一体何だったのか?と思ってしまった。おそらくロウィーナが出て以降、翻弄されるばかりで翻弄することがないからだと思う。
 ルシファーが出張って来ると悪役が飽和してしまうから性質の違いを出さなきゃいけなくて難しいというのはあると思うけど、ルシファーもそんなに頭は良くないと思う。というかルシファーが頭悪く描かれるせいでそれより格が下のクラウリーがもっとアホに描かれるのか?そのルシファーも結局大したことはできずに神上げのための前座に過ぎなかったし。神が最高点だからルシファーはそれより下、クラウリーはそれより下と考えてああなったのかもしれないけど、それは力の話であって頭脳ではないと思う。力で圧倒するルシファーと策略で翻弄するクラウリーで十分差別化できたと思うんだけど……。やっぱ権力闘争のIQがS6やらS7やらアバドンの頃と違うんだよ。いつもならその間抜けに見える態度は演技で、しっかり先を見越したうえでたとえ最後に勝つのがウィンチェスターだったとしても自分の利益だけはちゃっかり得ている男だったじゃないか。

・全体の話
 シーズンが進むに従って演出や設定が安っぽくなってきてるように感じるのは「エリックが当初から書きたかった話はS5まで」という事実を知っているが故の先入観なのか否か。今もエリックが意見は出してるみたいだからやっぱ先入観か?しかしリヴァイアサンあたりから「シリーズを続けるために頑張って敵を作っている」感が出てきてるなとはどうしても感じる。
 エリック総指揮の時は神・天使・悪魔とか父親・兄・弟とかに対して一貫した姿勢があった気がして恋しいとか思ったりする。神や信仰について答えを出したいという内心からの要請?欲求?のようなものってキリスト教圏で育ってない人間にはどうしても理解できない部分があると思うんだけど、私自身「信仰する」ということ自体に惹かれる部分と絶対的に超えられない壁を感じる部分とがあって、エリックの中にそれらに対する確固とした何かがあるのならそれを見せてほしいと思ってS4・S5を見ていた。S4とS5がずっとしんどいのは、血を流しながらも答えを模索する真摯さの副産物みたいなもので、S6~S9とかはそれより全体的に気楽に見れるし私の見たいものを見せてくれるから大好きなんだけど、それ自体にどこかファンディスク染みた雰囲気があるのはS6冒頭から確実に感じていた。ただ私は天使が出てきてからが圧倒的に面白くなったと思っているから、初期の一話完結の狩りや黄色い眼の悪魔だけではそこまで燃えられなかったし、S4を評価できるのもS5でこれまで耐えてきた時間全てが報われる結末を見せてもらえたからで、兄弟がずっと喧嘩して打ちのめされ続ける展開が続くならこんなに好きにはならなかった。実際S4初視聴の時はかなりダレてたし。
 神話を現代ナイズする手法は他の海外ドラマとか小説でもよくやるけど、SUPERNATURALは登場人物が大体くたびれたおっさんだったりみんなチェックシャツ着てたり、上辺の煌びやかさにあまり頼らない泥臭くて地に足が着いた感じが好きなんだよ。特に天使といえば翼なのに、そもそも肉眼では見えなくて容易く見せびらかしたりしないってのが硬派で痺れるし、死ぬ瞬間にそれが焼き付くってのが死ぬほどオシャレで……。最近そういうこだわりを感じる部分が少なくなってきている……と思うのはやっぱり先入観か?